愛宕山 (仙台市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
愛宕山
AtagoYama2006-1.jpg
愛宕山と広瀬川(2006年1月)
標高 78 m
所在地 日本の旗 日本
宮城県仙台市太白区
位置 北緯38度14分45秒
東経140度52分33秒
座標: 北緯38度14分45秒 東経140度52分33秒
山系 陸前丘陵
愛宕山の位置
Project.svg プロジェクト 山
テンプレートを表示
同じ方向から夏(2007年8月)

愛宕山(あたごやま)は、宮城県仙台市太白区向山にある山である。山の名は山上にある愛宕神社に由来する。かつては向山(むかいやま)とも呼ばれた。標高78m。

地理[編集]

愛宕山は、仙台市都心部の南、広瀬川をはさんで右岸にあり、川と平行に東西に尾根を伸ばす。この東西方向で傾斜が比較的緩いが、西側は広瀬川の曲流部の外側であるため、浸食を受けて傾斜が急であり、北側は広瀬川に曲流部の内側であるが河岸段丘の段丘崖となっているため傾斜が急である。段丘崖下には段丘面があり、人家がある。江戸時代には、北山五山の寺社等と並んで庶民が仙台城下町を見下ろせる場所であったが、現代では都心部の高層ビルで地平線が区切られ、ビル街の北までは見渡せない[1]

山の東端は、広瀬河畔通りを作ったときに切り取られた。この道路は、北に繋がる愛宕大橋を渡って都心部に通じる。山上の東側に愛宕神社があり、東から石段を登る参道がある。他に、車が登れる坂道が南側から回り込むようにつけられている。山上の西側には、大満寺虚空蔵尊十二支霊場)という寺院があり、山の南から登る。

大窪谷地という谷をはさんで南に大年寺山がある。

愛宕山上にある愛宕神社からの景観。仙台市都心部の高層ビルを一望することができる。

歴史[編集]

愛宕山の東の麓には、小さな円墳が2つ、愛宕下切通上古墳大窪谷地古墳があった。北斜面と南東斜面には、7世紀に横穴墓が多数作られ、愛宕山横穴墓群という。急斜面の横から、岩を削って掘り込み、内部に1メートルから3メートルほどの空間を作り、次々に人を埋葬したものらしい。

中世まで、大窪谷地を通って当時は荒れ野だった今の仙台市都心部を通過する道がよく使われた。16世紀前半に経塚が築かれ、1931年(昭和6年)に発掘されて愛宕山経塚と呼ばれた。

江戸時代に愛宕神社が山上に建てられ、経ヶ峯から虚空蔵堂が移転してきた。愛宕山は奥州街道から外れていたが、嘉永5年(1852年)に立ち寄った吉田松陰など、仙台を訪れるついでに登る人も多かった[2]。ここから仙台の町が展望できたためである。現代の観光客は青葉山から仙台市街を見下ろすが、そこは仙台城本丸であるから、江戸時代に一般人が立ち寄ることはできなかった。

5月の端午の節句には、町に林立する幟旗を眺めるために登る人がいた[3]仙台藩ではこの日に武家が幟を上げることを禁じていたので、幟は町人町にそって列をなした。茶店で売る土器の平皿を山上から広瀬川に向けて投げる遊びがあったが、川に届く前に落ちてしまうのが常であった[4]

明治時代の鉄道唱歌の中では、有名な大和田建樹作詞の1900年(明治33年)「地理教育鉄道唱歌」第3集で「愛宕の山の木々青く、広瀬の川の水白し」と、同年の四釜仁通作詞「智育鉄道唱歌」第1集でも「眺も尽ぬ愛宕山、山郭公空高く」と歌われた[5]。「展望は市内第一」との評は、昭和に入っても変わらない[6]

愛宕山は1934年(昭和9年)11月に、19.78ヘクタールをもって「愛宕風致地区」に指定された[7]。仙台の市街が拡大し、愛宕山の麓まで住宅が建てられると、斜面の横穴は民家の物置に使われた。第2次世界大戦中には、防空壕に転用されたものもあった。こうした転用で多くの遺物・遺骨が失われた。さらに後には、宅地造成のために壊されたものもあった。

1970年代に、広瀬河畔通りが建設され、愛宕山の東の尾根が削られた。1976年(昭和51年)には、愛宕大橋建設に伴う道路工事で愛宕山装飾横穴古墳が見つかり、緊急発掘の後、取り壊された。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 田村昭・編 『仙台のバス停物語』第1巻、宝文堂、1996年、ISBN 4-8323-0082-2、80頁。
  2. ^ 三原良吉 『郷土史仙臺耳ぶくろ』、宝文堂、1982年、63-64頁。
  3. ^ 仙台市史編纂委員会 『仙台市史』第1巻(本篇1)、仙台市役所、1954年、395頁。
  4. ^ 鈴木省三・著、青木大輔・中山栄子・編『仙台風俗志(全)』、歴史図書社、1977年、96頁。原著は1937年。
  5. ^ JR東日本仙台駅『仙台駅百年史』、1987年、31頁。
  6. ^ 鉄道省・編『改版日本案内記・東北篇』、博文館、1937年、106頁。
  7. ^ 仙台市史編纂委員会 『仙台市史』第2巻(本篇2)、仙台市役所、1955年、361頁。

関連項目[編集]