忠定王

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忠定王(ちゅうていおう、1338年 - 1351年3月23日(旧暦3月7日))は高麗第30代国王(在位:1349年 - 1351年)。姓は王、名は駙または[日氐]。モンゴル名は迷思監朶児只。諡号忠定大王廟号哀宗忠恵王庶子。母は禧妃尹氏。忠穆王の死を受けて翌年に王位を継ぐ。妃については不詳だが、息子に侍中公王済という人物がいたという。

1350年には高麗国内に対する初めての倭寇の襲撃があったという。1351年、幼君が続く高麗の状況に不満を抱き、代わって恭愍王擁立を図る元の宮廷の意向を受けて江華島に移された。恭愍王の高麗への帰国後に鴆毒によって暗殺された。14歳であったという。 また、李氏朝鮮第3代王 太宗の妃 元敬王后閔氏とは再従兄妹の関係に当たる。(禧妃尹氏と王妃の父 閔霽が従姉弟)

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