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広島電鉄600形電車 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広島電鉄600形電車
600形603号
基本情報
運用者 広島電鉄
製造所 加藤車輛[1]
製造年 1942年[1]
製造数 3両[1]
廃車 1972年[2]
投入先 広島電鉄市内線
主要諸元
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600 V架空電車線方式
車両定員 80名(座席28名)[1]
自重 17.7 t[1]
長さ 12,350 mm[1]
2,438 mm[1]
高さ 4,804 mm[1]
車体 半鋼製[1]
台車 ブリル77E系[1]
車輪径 840 mm[1]
主電動機出力  38 kW [1](一時間定格)
搭載数 2[3]
駆動方式 吊り掛け駆動[3]
歯車比 59:14[3]
定格速度 11 km/h[3]
制御方式 直接制御[3]
制動装置 空気(常用)[3]
備考 各諸元は1963年6月末時点
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広島電鉄600形電車(ひろしまでんてつ600かたでんしゃ)は、1942年(昭和17年)から1972年(昭和47年)まで広島電鉄に在籍していた路面電車車両。1976年(昭和51年)に西日本鉄道北九州線)より譲渡された600形については広島電鉄600形電車 (2代)を参照のこと。広島市への原子爆弾投下で被災した被爆電車であった。


概要

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新線開業に伴う輸送力増強を目的として[4]、1942年に加藤車輛で3両(601 - 603)が製造された[5][1]。スタイルや3扉の半鋼製車体という点は同時期に登場した650形と同じだが、前照灯は埋め込み式[6]で、中央扉は片開きとなった。

1945年(昭和20年)8月6日原爆では、電車宮島駅(現:広電宮島口駅)に故障留置中だった601号を除く2両が被害を受けたが[7]1946年11月までに全て復旧された。

広島電鉄 603号 昭和30年代後半 鷹野橋

1969年(昭和49年)時点では3両全車が千田車庫に配置されていた[8]650形の様に低床化改造はなされず、1972年までに消滅した[2]

原子爆弾による被害

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車番 被災場所・状況 状態 復旧 備考
601 電車宮島駅に停泊[7] 損傷なし[7] 1946年11月 故障のため留置中[7]
602 江波で被爆[7] 大破[7] 1946年4月
603 千田町車庫(現:千田車庫)で被爆[7] 大破[7] 1945年11月

各車状況

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車番 認可 竣工 廃車
601 1942年10月21日[9] 1942年12月[5] 1972年3月31日[2]
602
603

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 世界の鉄道64, p. 174-175.
  2. ^ a b c 長船 2005, p. 152.
  3. ^ a b c d e f 世界の鉄道64, p. 166-167.
  4. ^ 世界の鉄道64, p. 75.
  5. ^ a b RP232要目表, p. 136.
  6. ^ 加藤 2015, p. 53.
  7. ^ a b c d e f g h 加藤 2015, p. 157.
  8. ^ 窪田 1969, p. 103.
  9. ^ 和久田 2009, p. 119.

参考文献

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書籍

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  • 『世界の鉄道 1964年版』朝日新聞社・木村庸太郎編集発行、朝日新聞社、1963年9月。 
  • 『私鉄の車両3 広島電鉄』(保育社・飯島巌) ISBN 4586532033
  • 加藤一考『もう一つの語り部 被爆電車物語』南々社、2015年7月。ISBN 9784864890342 
  • 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年6月。ISBN 4533059864 
  • 『広島の路面電車65年』(毎日新聞ニュースサービス社・広島電鉄)
  • 和久田康雄『日本の市内電車 : 1895-1945』成山堂書店、2009年3月。ISBN 9784425961511 

雑誌

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  • 『鉄道ピクトリアル』1969年4月号臨時増刊、(通巻232号)、鉄道図書刊行会、1969年4月。
    • 窪田正実「広島電鉄広島市内線」 pp. 102-104
    • 「全日本路面電車要目総括表」 pp. 131-138