広島電鉄600形電車 (初代)
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広島電鉄600形電車 | |
---|---|
600形603号 | |
基本情報 | |
運用者 | 広島電鉄 |
製造所 | 加藤車輛[1] |
製造年 | 1942年[1] |
製造数 | 3両[1] |
廃車 | 1972年[2] |
投入先 | 広島電鉄市内線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435 mm |
電気方式 | 直流600 V(架空電車線方式) |
車両定員 | 80名(座席28名)[1] |
自重 | 17.7 t[1] |
長さ | 12,350 mm[1] |
幅 | 2,438 mm[1] |
高さ | 4,804 mm[1] |
車体 | 半鋼製[1] |
台車 | ブリル77E系[1] |
車輪径 | 840 mm[1] |
主電動機出力 | 38 kW [1](一時間定格) |
搭載数 | 2[3] |
駆動方式 | 吊り掛け駆動[3] |
歯車比 | 59:14[3] |
定格速度 | 11 km/h[3] |
制御方式 | 直接制御[3] |
制動装置 | 空気(常用)[3] |
備考 | 各諸元は1963年6月末時点 |
広島電鉄600形電車(ひろしまでんてつ600かたでんしゃ)は、1942年(昭和17年)から1972年(昭和47年)まで広島電鉄に在籍していた路面電車車両。1976年(昭和51年)に西日本鉄道(北九州線)より譲渡された600形については広島電鉄600形電車 (2代)を参照のこと。広島市への原子爆弾投下で被災した被爆電車であった。
概要
[編集]新線開業に伴う輸送力増強を目的として[4]、1942年に加藤車輛で3両(601 - 603)が製造された[5][1]。スタイルや3扉の半鋼製車体という点は同時期に登場した650形と同じだが、前照灯は埋め込み式[6]で、中央扉は片開きとなった。
1945年(昭和20年)8月6日の原爆では、電車宮島駅(現:広電宮島口駅)に故障留置中だった601号を除く2両が被害を受けたが[7]、1946年11月までに全て復旧された。
1969年(昭和49年)時点では3両全車が千田車庫に配置されていた[8]。650形の様に低床化改造はなされず、1972年までに消滅した[2]。
原子爆弾による被害
[編集]車番 | 被災場所・状況 | 状態 | 復旧 | 備考 |
601 | 電車宮島駅に停泊[7] | 損傷なし[7] | 1946年11月 | 故障のため留置中[7] |
602 | 江波で被爆[7] | 大破[7] | 1946年4月 | |
603 | 千田町車庫(現:千田車庫)で被爆[7] | 大破[7] | 1945年11月 |
各車状況
[編集]車番 | 認可 | 竣工 | 廃車 |
601 | 1942年10月21日[9] | 1942年12月[5] | 1972年3月31日[2] |
602 | |||
603 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]書籍
[編集]- 『世界の鉄道 1964年版』朝日新聞社・木村庸太郎編集発行、朝日新聞社、1963年9月。
- 『私鉄の車両3 広島電鉄』(保育社・飯島巌) ISBN 4586532033
- 加藤一考『もう一つの語り部 被爆電車物語』南々社、2015年7月。ISBN 9784864890342。
- 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年6月。ISBN 4533059864。
- 『広島の路面電車65年』(毎日新聞ニュースサービス社・広島電鉄)
- 和久田康雄『日本の市内電車 : 1895-1945』成山堂書店、2009年3月。ISBN 9784425961511。
雑誌
[編集]- 『鉄道ピクトリアル』1969年4月号臨時増刊、(通巻232号)、鉄道図書刊行会、1969年4月。
- 窪田正実「広島電鉄広島市内線」 pp. 102-104
- 「全日本路面電車要目総括表」 pp. 131-138