川勝瀬平

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川勝 瀬平(かわかつ せべい、寛政12年(1800年) - 明治7年(1874年))は、明治時代初期に京都府船井郡富本村(現・南丹市)の西谷池開削を指導した篤農家、豪農。富本村青戸の人。

西谷池開削[編集]

幕末まで船井郡富本村の青戸(現・南丹市八木町青戸)は、灌漑の術もなく荒れ果てた土地が多かった。このため、川勝瀬平は亀岡藩に願い出て、西谷に灌漑用の貯水池を築こうとし、明治2年(1869年)工事に着手した。しかし、周辺の農民は水害を恐れて、竹槍を持ち出して瀬平宅を囲んで威嚇したり、藩庁に訴えたりして、この工事を止めさせようとした。瀬平はこれに屈することなく、死を覚悟して藩庁に訴え、さらに京都西役所に願い出て、ついに工事継続の許可を得た。そして、明治4年(1871年)西谷池が完成して、良田20余町(約20ヘクタール)が開拓された。これが青戸新田である。瀬平は明治7年(1874年)に、75歳で没した。

西谷池記念碑[編集]

明治39年(1906年)、村民は瀬平の功績を忘れないために、皆で記念碑を建て、その徳をたたえた。園部儒学者教育者である上野盤山が文を撰し、園部の教育者である谷平吉が書を草した。西谷池記念碑は、青戸の大辻神社の社前に建っている。

参考文献[編集]

  • 『丹波人物志』 松井挙堂著、臨川書店、1987年5月 ISBN 4-653-01547-3 ほか

関連項目[編集]

外部リンク[編集]