峯村英薫

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峯村 英薫(みねむら ひでしげ、1902年3月24日 - 1991年3月21日)は、日本の経営者歌人

経歴・人物[編集]

長野県小県郡富士山村(現在の上田市)出身[1]。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1940年東京帝国大学法学部を卒業[2]

加島銀行での勤務を経て、野村銀行に入行し、大和銀行専務を経て、1959年に副頭取に就任し、1963年に会長に就任し、1968年から顧問を務めた[2]積水化学工業取締役なども歴任した[2]

1923年太田水穂に師事し、歌人としても活躍し、「峯村英薫歌集」がある[1]

1965年藍綬褒章を受章し、1972年勲二等瑞宝章を受章した[1]

1991年3月21日急性心不全のために死去[3]。88歳没。弟の峯村文人東京教育大学文学部教授を務めた。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 「現代物故者事典 1991-1993 p577」
  2. ^ a b c 興信データ株式會社 1985, み123頁.
  3. ^ 1991年 3月23日 日本経済新聞 朝刊 p35

参考文献[編集]

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第33版 下』興信データ、1985年。 
  • 「長野県人名鑑」信濃毎日新聞社 1974年