岩石城

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岩石城
福岡県
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 平清盛
築城年 保元3年1158年
主な城主 平氏大友氏大内氏秋月氏
廃城年 天正15年(1587年
遺構 曲輪、石垣、堀、井戸
指定文化財 なし
位置 北緯33度34分38.8秒
東経130度52分17.9秒

岩石城(がんじゃくじょう)とは、福岡県田川郡添田町添田(現・添田1788番地の2)にあった日本の城である。 標高454mの岩石山山頂を主郭とした山城であった。

歴史[編集]

平清盛が大宰大弐であった頃、1158年(保元3年)に大庭景親に築かせた、と伝わる。はるかのちには、子孫である大庭氏が城主として数代支配することになる。

標高はさほどではないにせよ、山岳修験道の修業場であった山に造られており「豊前一の堅城」「難攻不落」という評判もあった同城ではあるが、築城以降、菊池氏大友氏大内氏秋月氏豊臣秀吉の各大名に攻め落とされ、帰属の変更を繰り返しながら、重要な城として存続する歴史を繰り返す。 秀吉の九州征伐以降は小倉城の付城として存続し、毛利勝信細川忠興らに支配されるが、江戸時代初期の1615年(元和元年)の元和の一国一城令により廃城となった。

1991年には山麓に7億5000万円の費用を掛けて模擬天守が建築された。模擬天守の1階は美術館となっており、入館料は無料。ただし、本来の岩石城とは無関係であり、城跡のメインとなる遺構は背後の山にあり、石垣や堀が残る。主郭近辺からは地域一帯を俯瞰することができ、同城がやはり重要な拠点であったことが推測される。

関連項目[編集]