岡田実 (陸軍軍人)
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岡田 実 | |
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生誕 |
1887年8月28日 日本 東京府 |
死没 | 1945年3月20日(57歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1908年 - 1939年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
配偶者 | 智恵子[1] |
子女 | 裕(男子)、敏子(長女)[1] |
除隊後 | 横山工業取締[1] |
岡田 実(おかだ みのる、1887年(明治20年)8月28日[2] - 1945年(昭和20年)3月20日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等[1]。
経歴
[編集]東京府出身[2]。陸軍士官学校第20期、陸軍大学校第28期卒業[2]。ヴェルサイユ平和条約実施委員などを経て[1]、1923年(大正12年)8月、陸軍砲兵少佐に進級し[3]、1924年(大正13年)9月時点で野砲兵第7連隊大隊長の任にあった[3]。1925年(大正14年)9月時点で陸軍野戦砲兵学校教官兼同校研究部部員となり[4]、1926年(大正15年)3月に参謀本部部員兼陸軍経理学校教官に就任した[5]。1928年(昭和3年)3月、陸軍砲兵中佐に進級し[6]、8月に伊国在勤帝国大使館附武官伊国駐在員取締に転じ[6]、1931年(昭和6年)8月には参謀本部部員に着任した[7]。
1932年(昭和7年)8月8日、陸軍砲兵大佐進級と同時に陸軍技術本部部員となり[8]、1933年(昭和8年)8月に近衛野砲兵連隊長(近衛師団[9][10])[8]、1935年(昭和10年)3月に近衛師団参謀長と歴任した[8]。1936年(昭和11年)8月1日に陸軍野戦砲兵学校幹事に転じ[8]、12月1日に陸軍少将に進級[8]、1937年(昭和12年)8月に関東軍砲兵司令官に就任した[2]。1938年(昭和13年)12月に参謀本部附となり[2]、1939年(昭和14年)1月23日に待命[2]、1月31日に予備役に編入された[2]。
予備役編入後は横山工業取締を務めた[1]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[11]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 人事興信所 1943, オ208頁.
- ^ a b c d e f g h 福川 2001, 169頁.
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正13年9月1日調944頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調867頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調833頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和3年9月1日調831頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和6年9月1日調767頁
- ^ a b c d e 外山 1981, 256頁.
- ^ 外山・森松 1987, 368頁.
- ^ 外山・森松 1987, 370頁.
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 人事興信所 編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年 。