山崎清次
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山崎 清次 | |
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生誕 |
1891年(明治24年)1月18日 日本、東京府 |
死没 | 1959年(昭和34年)11月1日 |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1912年(明治45年) - |
最終階級 | 陸軍中将 |
山崎 清次(やまざき せいじ、1891年1月18日 - 1959年11月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]東京都出身。1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、砲兵少尉任官。
1938年(昭和13年)7月、砲兵大佐に進級し野砲兵第21連隊長に就任、日中戦争に出征し南京付近の警備に従事。1940年(昭和15年)8月、陸軍野戦砲兵学校教導連隊長に異動。1941年(昭和16年)7月、第51砲兵団長となり、同年10月、陸軍少将に昇進した。
1942年(昭和17年)8月、北支那方面軍付となり、1943年(昭和18年)6月、支那派遣軍砲兵教育隊長となる。1945年(昭和20年)1月、第52軍隷下の第8砲兵司令官に就任し、千葉県佐倉で陣地を構築。同年4月、陸軍中将に進んだ。同年5月、近衛第3師団長に親補され、千葉県成東で本土決戦に備えていたが、交戦することなく終戦を迎えた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。