山崎清次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
山崎 清次
生誕 1891年(明治24年)1月18日
日本の旗 日本東京府
死没 1959年(昭和34年)11月1日
所属組織 日本陸軍
軍歴  1912年(明治45年) -
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

山崎 清次(やまざき せいじ、1891年1月18日 - 1959年11月1日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴[編集]

東京都出身。1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、砲兵少尉任官。

1938年(昭和13年)7月、砲兵大佐に進級し野砲兵第21連隊に就任、日中戦争に出征し南京付近の警備に従事。1940年(昭和15年)8月、陸軍野戦砲兵学校教導連隊長に異動。1941年(昭和16年)7月、第51砲兵団長となり、同年10月、陸軍少将に昇進した。

1942年(昭和17年)8月、北支那方面軍付となり、1943年(昭和18年)6月、支那派遣軍砲兵教育隊長となる。1945年(昭和20年)1月、第52軍隷下の第8砲兵司令官に就任し、千葉県佐倉で陣地を構築。同年4月、陸軍中将に進んだ。同年5月、近衛第3師団長に親補され、千葉県成東本土決戦に備えていたが、交戦することなく終戦を迎えた。

参考文献[編集]

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。