山口母親殺害事件

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山口母親殺害事件(やまぐちははおやさつがいじけん)とは、2000年7月29日山口県山口市で当時16歳の少年1983年8月21日生まれ)が自分の母親を金属バットで殴り殺害した事件。この少年は、のちに大阪姉妹殺害事件(2005年)を起こしている。

事件の経緯[編集]

犯人の少年の父親は転職を繰り返していて、酒癖が悪くしばしばや少年に対して暴力を振るっていた。1995年(平成7年)1月、少年が小学5年生の時に父親が肝硬変で死亡し、その後は少年は母親と2人暮らしであった。少年は学校では目立たない存在で友人も少なかった。小学生時代は、家庭科の教材費を支払うことができず、それを理由に教師からは調理実習で作った料理を食べる資格がないと決め付けられ、作った料理をゴミ箱に捨てさせられたこともあった。中学校時代は「悪魔」と呼ばれたこともあった。中学2年の時から不登校気味となり、中学3年には3分の2近くを欠席し、修学旅行などの行事にも参加しなかった。

卒業後は高校には進学せず(中卒)、しばらく就職先が見つからなかったが、知人の紹介で新聞販売店で働き始めた。だが、母親には借金があり、取り立てに迫られたり、家賃や水道料金を滞納していた。生活保護も申し込んだが、認可されなかった。6月になって少年は借金のことを知ったが、その時には既にどうしようもない状況だった。事件直前の7月27日28日には、仕事を初めて無断欠勤している。その際は同僚が迎えに行って28日の途中から出勤したが、夕方には「母親が借金している」と悩みながら同僚に話しかけていた。また、母親には再婚話があり、同僚に対して「僕は邪魔者だから家を出る」とも話していた。

そんな中、2000年(平成12年)7月29日午後9時ごろ、少年と母親は口論となる。少年が交際したいと考えていた女性の携帯電話に、母親が無言電話をかけたのがきっかけである。少年は母親を問いただしても認めず、少年が母親から「出て行け」などと言われたことに腹を立て、借金のことも絡んで口論となって暴行を加えた。そして、頭に血が上った少年は金属バットで母親の頭、顔、胸などを殴り倒し、母親を滅多打ちにして殺害。大阪姉妹殺害事件では、検事に対して母親殺害の際に射精したことを述べたが、これは「返り血を流すためにシャワーを浴びたら、射精していたことに気づいた」ということであった。また、このことは母親殺害の際は調べに対し述べていない。7月31日午前1時ごろ、少年は「母親を殺した」と110番通報し、山口署から殺人容疑で緊急逮捕された。

少年は自暴自棄で投げやりな態度が目立ち、当初は弁護士の選任を行うことを拒否していた。8月2日に県弁護士会から派遣された弁護士と接見した際にも、「(弁護士は)必要ない。自分はどうなってもいい」という話をして接見室から出て行った。少年は8月21日に山口地検に「刑事処分相当」の意見書をつけて山口家庭裁判所に送致され、山口少年鑑別所で調査を受けた。9月14日、山口家庭裁判所は動機に酌量の余地があり、計画的な非行ではなく、家庭環境に大きく起因していることなどを考慮すべきだ」とし、「長期間の矯正教育を受けさせるのが適当であり、年齢的に見ても矯正は充分可能」として中等少年院送致としたが、実際には充分な「長期間の矯正教育」は行われたとはいえず、わずか3年2か月で出所している。少年は9月14日の審判で「客観的に見て許されないことをしてしまった。母が抱えていたものをもっと説明してくれていれば、違う展開になったかもしれない」と語った。

2000年(平成12年)は西鉄バスジャック事件大分一家6人殺傷事件など凶悪な少年事件キレる17歳世代として話題になっており、その一環のなかで騒がれた。だが、他の事件に比べて理由が「母親の借金で口論になった」というものであったため、当時はそれほど凶悪犯罪扱いはされなかった。

出所後[編集]

出所後の2005年(平成17年)11月17日、成長し22歳となった少年は大阪姉妹殺害事件を起こした。大阪姉妹殺害事件で逮捕された際には成年だったため実名報道され、少年時代の山口母親殺害事件も取り上げられ、快楽殺人者の始まりの事件とみなされるようになる。また、充分な矯正教育が行なわれなかったことが再犯につながった可能性が取り沙汰され、少年法の改正についても議論された。被告人は「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった」と大阪府警の調べに対し述べていた。なお、母親殺害事件の際には広汎性発達障害が疑われたが、大阪姉妹殺害事件の精神鑑定では人格障害非社会性人格障害統合失調質人格障害、性的サディズム)であるとされた。

2007年(平成19年)5月31日、元少年の死刑が確定。

2009年(平成21年)7月28日森英介法務大臣(当時)の執行命令書捺印により、自殺サイト殺人事件死刑囚ほか1名と同日に元少年の死刑が執行された。

関連書籍[編集]

  • 小川善照『我思うゆえに我あり 死刑囚・○○の二度の殺人』小学館、2009年(平成21年)。※書籍名に実名が入っているため、この箇所を○○と表記した。

関連項目[編集]