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小椋伸二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小椋 伸二
名前
カタカナ オグラ シンジ
ラテン文字 OGURA Shinji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1962-01-19) 1962年1月19日(62歳)
出身地 大分県
身長 163cm[1]
体重 60kg[1]
選手情報
ポジション FW
ユース
1977-1979 日本の旗 大分工業高校
1980-1983 日本の旗 東海大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1992 日本の旗 トヨタ/名古屋グランパスエイト
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

小椋 伸二(おぐら しんじ、1962年1月19日 - )は、大分県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード

来歴

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大分工業高校3年時の1979年に高校総体で準優勝[2]

東海大学を経て、1984年に日本サッカーリーグ (JSL) 2部のトヨタ自動車工業サッカー部に加入。JSL1部では1987-88シーズン、1990-91シーズン、1991-92シーズンと3シーズンにわたってプレーし、通算58試合に出場し4得点6アシストを記録した[3]。また、1985年の天皇杯では初戦の国士舘大学戦で2得点をあげるなど4試合に出場しベスト4進出に貢献[4]。1991年のコニカカップでは優勝、1992年のゼロックス・チャンピオンズ・カップでは準優勝を経験したが、両大会とも交代出場という形で決勝戦のピッチに立っている[3]

1992年、プロ化により名古屋グランパスエイトへ移行後もチームに在籍した[5]

引退後は名古屋のフロントに入り、2006年の時点でチーム統括部副部長[6]、2009年から2011年時点では強化部長[7][8]、2013年の時点ではチーム統括部長[9]、2015年の時点でホームタウン推進部長を務めている[10]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1984 トヨタ 18 JSL2部 0 0 1 0
1985 19 3 2 0 4 2 25 5
1986-87 1 0 1 0
1987-88 18 JSL1部 21 2 1 0 2 3 24 5
1988-89 JSL2部 28 3 2 0 2 0 32 3
1989-90 -
1990-91 18 JSL1部 20 2 2 1 - 22 3
1991-92 17 0 2 0 2 1 21 1
1992 名古屋 - J - 0 0
通算 日本 J - 0 0
日本 JSL1部 58 4 5 1 4 4 67 9
日本 JSL2部
総通算

その他の公式戦

脚注

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  1. ^ a b 日本サッカーリーグ編『日本サッカーリーグ・Year book '91-'92』日本サッカーリーグ、1991年、35頁。 
  2. ^ 全国高等学校体育連盟サッカー専門部 編『高校サッカー60年史』講談社、1983年、240-243頁。ISBN 4-06-200059-8 
  3. ^ a b 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、93・95・254頁頁。 
  4. ^ 「RESULT 第62回天皇杯」『サッカーマガジン』 1986年3月号、ベースボール・マガジン社、174-175頁。 
  5. ^ 「Jリーグ・カップ登録メンバーリスト」『サッカーマガジン』 1992年10月号、ベースボール・マガジン社、89頁。 
  6. ^ グラ4巨頭、クラブ首脳と緊急会談「今は我慢の時」”. 中日スポーツ (2006年5月28日). 2006年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月6日閲覧。
  7. ^ 名古屋 ストイコビッチ監督が会見”. スポニチ Sponichi Annex (2008年1月12日). 2020年12月6日閲覧。
  8. ^ DFダニエル加入 甲府から完全移籍”. 中日スポーツ (2011年12月28日). 2012年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月6日閲覧。
  9. ^ 「コイツには負けたくない」F東京入りの陸と名古屋加入の力、びわこ成蹊スポーツ大の「松田ツインズ」が入団会見”. ゲキサカ (2013年11月12日). 2020年12月6日閲覧。
  10. ^ 平成27年度 第1回豊田市スポーツ推進審議会 会議録” (PDF). 豊田市 (2013年11月12日). 2020年12月6日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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