小林義武
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人物情報 | |
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生誕 |
1942年6月10日 日本北海道室蘭市 |
死没 | 2013年1月26日 (70歳没) |
出身校 | 東京大学 |
学問 | |
研究分野 | 音楽学・音楽史 |
研究機関 | 同志社女子大学・成城大学 |
学位 | 博士 |
小林 義武(こばやし よしたけ、1942年6月10日 - 2013年1月26日 )は、日本の音楽学者、成城大学教授。バッハの筆跡鑑定の世界的権威と言われた[1]。
経歴
[編集]1942年、北海道室蘭市生まれ[1]。東京都立新宿高等学校を経て、1966年東京大学文学部美学美術史学科を卒業[1]。1966年にオーストリア政府奨学生としてウィーン大学に留学。1967年西独ゲッティンゲン大学に転じ[1]、1973年に同大学院博士課程を修了し学術博士号を取得。1974年よりヨハン・ゼバスティアン・バッハ研究所学術研究員。帰国して、1991年より同志社女子大学学芸学部教授。1999年からは成城大学文芸学部教授。
2013年1月26日、病により死去[2]。70歳没。
受賞・栄典
[編集]研究内容・業績
[編集]家族・親族
[編集]- 妻:キルステン・バイスヴェンガー(Kirsten Beisswenger)[1](1960年10月21日 - 2013年5月15日)も音楽学者。テュービンゲン大学とゲッティンゲン大学で音楽学を学び、1990年にバッハの所蔵楽譜に関する研究で哲学博士号取得。ゲッティンゲン・バッハ研究所学術研究員(1991-1993)、獨協大学専任講師、東京大学非常勤講師などを務め、2007年より獨協大学外国語学部ドイツ語学科講座教授。一般的なドイツ語教育のみならず、バッハやバロック時代、チェロなどに関する著者や論文を残している。夫とともに共著もまとめている[3]。
著書
[編集]- Die Notenschrift Johann Sebastian Bachs: Dokumentation ihrer Entwicklung. (NBA Serie IX, Band 2). Kassel, Bärenreiter. 1989 [『ヨハン・セバスティアン・バッハの楽譜筆跡』(新バッハ全集第9シリーズ:2巻) 1989年]
- バッハ復活 19世紀市民社会の音楽運動 日本エディタースクール出版部 1985.11
- バッハ 伝承の謎を追う 春秋社 1995.12
- バッハとの対話 バッハ研究の最前線 小学館 2002.6
共編
[編集]- Katalog der Wasserzeichen in Bachs Originalhandschriften. Wisso Weiß共編
- ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 別巻 鳴海史生共編 東京書籍 2001.9
- Bach Werke Verzeichnis - Kleine Ausgabe, Alfred Dürr共編 Breitkopf & Haertel 1998.7
- Die Kopisten Johann Sebastian Bachs. Katalog und Dokumentation. Band 1: Textband, Band 2. Abbildungsband 2007年
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 訃報:小林義武さん70歳=バッハの筆跡鑑定の世界的権威 毎日新聞 2013年02月25日 02時30分(最終更新 02月25日 17時11分)
- ^ 小林義武氏死去=成城大教授・バッハ研究 時事通信 2013年2月25日閲覧
- ^ Die Kopisten Johann Sebastian Bachs. Katalog und Dokumentation. Band 1: Textband, Band 2. Abbildungsband や Bach-Werke-Verzeichnis. Kleine Ausgabe (BWV 2a), nach der von Wolfgang Schmieder vorgelegten 2. Ausgabeなど