寺沢弘子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
寺沢ひろ子から転送)
てらさわ ひろこ
寺沢 弘子
別名義 寺沢 ひろ子
寺沢 広美(てらさわ ひろみ)
生年月日 1929年
出生地 日本の旗 日本 佐賀県
職業俳優
ジャンル 劇映画時代劇現代劇特撮映画トーキー
活動期間 1951年 ‐ 1966年
配偶者 越後憲(死別)
主な作品
大怪獣バラン
テンプレートを表示

寺沢 弘子(てらさわ ひろこ[1]1929年[2] - )は、日本の元女優。別名は寺沢 ひろ子(読みは同じ)[3][2]寺沢 広美(てらさわ ひろみ)[3][2]佐賀県出身[2]。夫は東宝専属俳優の越後憲三[1]

来歴・人物[編集]

福岡県の小学校教諭を経て、1951年藤田進のスカウトにより東宝の専属女優になり、数多くの作品に出演した[2][注釈 1]

その後、同じく専属俳優であった越後憲三と結婚し女優を引退した[2]

エピソード[編集]

ゴジラ』(1954年)で遠方ロケーションに参加して以来、「ロケ女」と称されるほど多くのロケに参加した[2]。ものをはっきりいう性格であったため、一部からは使いづらいとも言われていた[2]

七人の侍』の撮影では、山賊の馬に乗せられるシーンで足を負傷してしまい、現場の厳しさを痛感するとともに、監督の黒澤明にも苦手意識を持つようになったという[2]。一方で、『ゴジラ』では初めてのロケであったが監督の本多猪四郎から気遣われ、船での移動の際に船酔いし意識を失った際も、気づいた後に助監督から本多が「心配しないで」とゆっくり休むよう述べていたことを伝えられ、こんなに優しい監督がいるのかと感動したという[2]

出演作品[編集]

東宝[編集]

全て製作・配給は「東宝」、特筆以外は全て「寺沢弘子」名義である。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ しかし、藤田と共演する機会はなかったという[2]
  2. ^ a b ノンクレジット。
  3. ^ 「寺沢ひろ子」名義。
  4. ^ a b c d e 「寺沢広美」名義。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 110, 「オール初代ゴジラ俳優大図鑑」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 初代ゴジラ研究読本 2014, pp. 92–94, 取材・文 友井健人「俳優インタビュー 寺沢弘子」
  3. ^ a b c d e モスラ映画大全 2011, p. 105, 「脇役俳優辞典34」

参考文献[編集]

  • 洋泉社MOOK 別冊映画秘宝洋泉社
    • 『別冊映画秘宝 モスラ映画大全』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年8月11日。ISBN 978-4-86248-761-2 
    • 『別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2014年8月24日。ISBN 978-4-8003-0452-0 

外部リンク[編集]