富士山 (スループ)
艦歴 | |
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発注 | 1862年 |
起工 | |
進水 | 1864年 |
就役 | 1866年 |
除籍 | 1889年5月10日 |
その後 | 1896年8月売却 |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:1,000t |
全長 | 垂線間長 56.4m |
全幅 | 10.3m |
吃水 | 3.27m |
機関 | 1軸レシプロ350ihp |
最大速 | 8ノット |
兵員 | 134名 |
兵装 | 備砲12門 |
富士山(ふじやま)は、元幕府海軍所属「富士山丸」、大日本帝国海軍の軍艦。二檣[1](機関撤去後は三檣)バーク型木造スループである。1887年(明治20年)までの日本海軍の正式艦名は富士山艦。艦名は日本最高峰の富士山の名から採られた。
概要
1862年10月14日(文久2年閏8月21日)、幕府は米国に対しスループ2隻およびガンボート1隻を発注した。富士山丸はその最初の1隻として1864年6月に完成したが、下関戦争の勃発によりリンカーン大統領は富士山丸の出航を差し止め、その他の軍艦の製造も中止された。結局、富士山丸が日本に到着したのは1866年1月23日(慶応元年12月7日)であった。
1868年(慶応4年)に幕府から朝陽丸、翔鶴丸、観光丸と共に明治政府へ上納されたため、日本海軍創始となる艦である。戊辰戦争では他艦と協力して咸臨丸を捕獲している。1871年(明治4年)より海軍兵学校の初代練習艦となった。
艦歴
- 1864年(元治元年)アメリカ・ニューヨークで竣工(幕府発注)。
- 1866年(慶応元年)12月7日横浜に到着。
- 1866年(慶応2年)6月第二次長州征討に出動。
- 6月大島口の戦いに参戦。
- 7月小倉口の戦いに参戦。
- 1868年(慶応4年)4月11日幕府より上納。
- 4月28日正式に国有となる。
- 9月18日咸臨丸を捕獲。
- 1871年(明治4年)海軍兵学校練習艦となる。
- 1876年(明治9年)10月機関を撤去。撤去跡の艦中央部に大檣を設置し、三檣となる。
- 1880年(明治13年)1月繋泊練習艦。
- 1885年(明治18年)12月運用術練習艦。
- 1889年(明治22年)5月除籍。呉鎮守府海兵団所属。
- 9月10日雑役船となる。
- 1896年(明治29年)8月売却。
艦長
- 富士山丸
- 富士山艦
脚注
参考文献
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。
関連項目
- 大日本帝国海軍艦艇一覧
- 富士 [II]