谷村昌武

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谷村 昌武
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 天保13年正月18日1842年2月27日
死没 明治2年6月7日1869年7月15日
改名 通称:愛之助、小吉
墓所 東京都杉並区大円寺
官位正五位
幕府 江戸幕府
薩摩藩
父母 父:谷村昌徳、母:松方氏
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谷村 昌武(たにむら まさたけ)は、幕末薩摩藩士。父は同藩士谷村昌徳

生涯[編集]

生地は鹿児島城下の高田馬場とも、大島笠利間切前肥田とも言う。

嘉永5年(1852年)、島津斉彬小姓、のち奥小姓となる。斉彬が没し、島津茂久が襲封するとその側近となり、小納戸見習などを務める。安政6年(1859年大久保一蔵らの脱藩計画を知り、それを阻むために茂久へ報告。それが後見の島津久光へと伝わり「誠忠士面々へ」の諭告書が下され、大久保らを引き止める事に成功する。

また文久2年(1862年沖永良部島に流されていた西郷吉之助の赦免を嘆願している。その後も久光の公武合体政策を支え、慶応2年(1866年)藩の海軍所が設立された際には、その創立に尽力した。慶応3年(1867年)西郷吉之助の倒幕論を支持して藩論を倒幕へ転換させる事となる。明治政府では軍鑑「富士山」「武蔵」の艦長を歴任するが、明治2年(1869年)箱館出征の準備中に没した。

昭和3年(1928年)、正五位を追贈された[1]

登場作品[編集]

テレビドラマ

脚注[編集]

  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.56