宮城長順
ナビゲーションに移動
検索に移動
![]() |
宮城 長順(みやぎ ちょうじゅん、1888年4月25日 - 1953年10月7日)は、沖縄県出身の空手家。空手の四大流派のひとつである剛柔流の開祖。
経歴[編集]
1888年(明治21年)、現在の沖縄県那覇市東町に生まれた。
11歳で新垣隆功に師事し、その後14歳で那覇手の大家の東恩納寛量に師事する。その後、福建省福州で中国拳法を修行[1]。
1934年(昭和9年)、大日本武徳会に「剛柔流唐手」と登録。
1939年(昭和14年)6月、大日本武徳会沖縄支部武徳殿開殿式において大日本武徳会長、林銑十郎(はやし せんじゅうろう)陸軍大将以下関係者を招いて行われた記念演武会で「轉掌」の型を演武[1]。
1953年(昭和28年)、那覇市壺屋の自宅で没した。
主な会派団体と師範[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ 小川雄一『はじめての空手道』2016年、19頁。