宍戸元忠
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長12年(1607年)または慶長13年(1608年) |
死没 | 元禄3年6月7日(1690年7月12日) |
別名 | 通称:喜平次→半左衛門尉 |
主君 | 毛利秀就→綱広→吉就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 藤原北家道兼流八田氏族宍戸氏 |
父母 | 父:宍戸元真 |
兄弟 | 男子、富永就姓、元忠 |
子 | 知忠 |
宍戸 元忠(ししど もとただ)は、江戸時代前期の武士。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元真。
生涯
[編集]慶長12年(1607年)または慶長13年(1608年)、毛利氏家臣・宍戸元真の三男として生まれる[1]。
元和7年(1621年)7月13日、毛利輝元の加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられた[2]。
寛永6年(1629年)11月1日、毛利秀就から「就」の偏諱と「半左衛門尉」の官途名を与えられる[3]。なお、「就」の偏諱を与えられた後の諱は不明。
元禄3年(1690年)6月7日に死去[1]。享年83または84[1]。子の知忠が後を継いだ[1]。
系譜
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。国立国会図書館デジタルコレクション
- 『萩藩閥閲録』巻129「宍戸七右衛門」