コンテンツにスキップ

宍戸元忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
宍戸元忠
時代 江戸時代前期
生誕 慶長12年(1607年)または慶長13年(1608年
死没 元禄3年6月7日1690年7月12日
別名 通称:喜平次→半左衛門尉
主君 毛利秀就綱広吉就
長州藩
氏族 藤原北家道兼流八田氏族宍戸氏
父母 父:宍戸元真
兄弟 男子、富永就姓元忠
知忠
テンプレートを表示

宍戸 元忠(ししど もとただ)は、江戸時代前期の武士毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元真

生涯

[編集]

慶長12年(1607年)または慶長13年(1608年)、毛利氏家臣・宍戸元真の三男として生まれる[1]

元和7年(1621年7月13日毛利輝元の加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられた[2]

寛永6年(1629年11月1日毛利秀就から「就」の偏諱と「半左衛門尉」の官途名を与えられる[3]。なお、「就」の偏諱を与えられた後のは不明。

元禄3年(1690年6月7日に死去[1]。享年83または84[1]。子の知忠が後を継いだ[1]

系譜

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『閥閲録』巻129「宍戸七右衛門」家譜。
  2. ^ 『閥閲録』巻129「宍戸七右衛門」第1号、元和7年(1621年)7月13日付、宍戸喜平次(元忠)宛て毛利宗瑞(輝元)加冠状。
  3. ^ 『閥閲録』巻129「宍戸七右衛門」第2号、寛永6年(1629年)11月1日付、宍戸喜平次(元忠)宛て毛利秀就書状。

参考文献

[編集]
  • 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639OCLC 703821998全国書誌番号:73004060 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 萩藩閥閲録』巻129「宍戸七右衛門」