守屋此助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
守屋此助

守屋 此助 (もりや このすけ、1861年6月13日文久元年5月6日) - 1931年昭和6年)6月9日)は、日本の政治家弁護士衆議院議員横浜市会議長、神中鉄道社長

略歴[編集]

1861年(文久1年5月6日)、備中国小田郡にて生まれる。東京法学校(現・法政大学)を卒業後、横浜市で弁護士を開業する。

1894年明治27年)に第3回衆議院議員総選挙に当選する(以後当選8回、憲政会)。

1906年(明治39年)から横浜市子安町地先の海面埋め立て事業をおこない(後の守屋町)、1921年(大正10年)に横浜市会議長に就任する(-1922年(大正11年))。また、神中鉄道・平沼製材の各社長、興亜起業取締役会長、膠奥電気股份有限公司、横浜桟橋倉庫、青島電気、山東起業、京浜電気鉄道などの取締役法政大学理事などを歴任した。

1931年(昭和6年)6月9日に死去、71歳。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]