コンテンツにスキップ

婁学謙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
婁学謙
『満洲紳士録 第三版』(1940年) 
プロフィール
出生: 1891年[1]
死去: 不詳
出身地: 清の旗 吉林将軍管轄区阿勒楚喀副都統管轄区賓州庁[2]
職業: 軍人・政治家
各種表記
繁体字 婁學謙
簡体字 娄学谦
拼音 Lóu Xuéqiān
ラテン字 Lou Hsüe-ch'ien
和名表記: ろう がくけん
発音転記: ロウ シュエチエン
テンプレートを表示

婁 学謙(ろう がくけん、繁体字: 婁學謙; 簡体字: 娄学谦; 繁体字: 婁學謙; 拼音: Lóu Xuéqiān; ウェード式: Lou Hsüe-ch'ien)は、中華民国満州国の司法官。静庵

事績

[編集]

1912年民国元年)に北京朝陽大学法科を卒業し、中華民国第2期司法官として採用された。以後、吉林省長春地方審判庁推事、吉林高等審判庁学習推事、山西省太原地方検察庁検察官候補、山西省河東第一高等検察庁検察官を歴任している。1927年(民国16年)、国務院から簡任文官とされた[3]

満州国建国後の1932年大同元年)3月、婁学謙は黒竜江省高等検察庁庁長に起用され、翌年に奉天省高等法院院長に転じた[4]1942年康徳9年)5月、井野英一の後任として最高法院院長に昇進、満州国滅亡まで在任した[5]。満州国滅亡後、婁學謙は中国共産党に逮捕され思想改造を受けたとされるが、没年や最終的な行方等は不詳である[3]

[編集]
  1. ^ 『大満洲帝国名鑑』「黒竜江省」、14頁は「本年四十四歳」と記述している。
  2. ^ 現在は黒竜江省の管轄。
  3. ^ a b 哈爾浜地情網。
  4. ^ 劉ほか主編(1995)、1187・1193頁。
  5. ^ 郭主編(1990)、1822-1823頁。

参考文献

[編集]
  • 「第三十二篇 人物 第二章 名録 第四節 名人録」 哈爾浜地情網(ハルピン市人民政府地方志弁公室ホームページ)
  • 『大満洲帝国名鑑』挙国社、1934年。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 郭卿友主編『中華民国時期軍政職官誌』甘粛人民出版社、1990年。ISBN 7-226-00582-4