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奥田直恭

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奥田 直恭(おくだ なおゆき、明治9年(1876年3月27日 - 昭和19年(1944年3月9日)は、明治時代の華族、軍人。信濃須坂藩最後の藩主堀直明の子。子爵、従三位勲四等。妻は佐竹義理の娘の秀子。子に奥田直登(長男)、細川直知(次男、細川一之助養子)。

経歴

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1876年(明治9年)生まれ。1877年(明治10年)に父の直明が本姓の奥田姓に復姓した。父の死去に伴い、1885年(明治18年)11月9日、子爵を襲爵した[1][2]

1899年(明治32年)11月21日陸軍士官学校卒業(11期)。翌年6月22日、陸軍少尉となり、最終階級は陸軍歩兵中佐。

栄典

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脚注

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  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、365-366頁。
  2. ^ 『官報』第710号、明治18年11月11日。
  3. ^ 『官報』第4418号「叙任及辞令」1941年9月27日。

出典

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日本の爵位
先代
奥田直明
子爵
須坂奥田家第2代
1885年 - 1944年
次代
奥田直登