太田利雄
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太田 利雄(おおた としお、1907年(明治40年)8月21日[1] - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。陸軍司政官。
経歴
[編集]愛知県名古屋市に生まれる[1]。名古屋商業学校、東京外国語学校専修科英語科に入学する[1]。その後、同校を退学し中央大学専門部法律科に入学し、1937年(昭和12年)3月、卒業した[1]。同年10月、高等試験行政科に合格し、1938年(昭和13年)4月、台湾総督府文教局社会課に奉職した[1]。1939年(昭和14年)5月、台南州北門郡守に就任し[1]、台南州警務部警務課長同社会教育官、文教局勤務などを経て、1942年(昭和17年)8月、陸軍司政官に任じた[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 興南新聞社 1943, 65頁.
- ^ 帝国秘密探偵社 1943, 海外6頁.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。