大館城 (陸奥国)

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大館城(おおだてじょう)あるいは大館[1]は、福島県いわき市内郷御台境町・好間町下好間・にかけて存在した戦国時代。当時は平城(たいらじょう)や平大館のように呼ばれたと想定される。[2]

1980年代末ごろから、江戸時代磐城平城(いわきたいらじょう)と区別・対比するため、飯野平城(いいのたいらじょう)の名称[3][4][5]が大館のほかに使われるようになる。

沿革[編集]

正確な築城年代は不明だが、岩城氏海道平氏)の庶流の白土隆弘(岩城常朝)が築いたという伝承[6]が正しいとすると、14世紀後半ないし15世紀初頭ということになる。

白土隆弘の孫で嘉吉の内紛を制し岩城一族惣領の地位を得た岩城隆忠のとき[7]、あるいはさらにその孫で浜通り南部の戦国大名と化しつつあった岩城常隆1483年文明15年)に[8]、当地へ本拠地を移したという。

その後代々岩城氏当主が居城としたが、関ヶ原の戦い後に所領を没収され、1602年慶長7年)に鳥居忠政が10万石で入部し、大館城の新たな城主となった。忠政は徳川幕府の命を受けて、大館城の東に新たに磐城平城を12年かけて築き、完成とともに居城を移した。これに伴い、大館城は廃城となった。

さらに陸奥石川氏あるいは上記の岩城氏の一族の大館氏はこの地名によって派生したともいわれている。

観光[編集]

アクセス[編集]

  • 福島県道20号(旧国道6号[9]内郷御台境交差点から旧国道49号(現市道「御​台​境​町​・​北​好​間」線)を北西に進むと、切り通しの中ほどに主郭跡への入口がある。湯殿山神社。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「大館」の初見は、文安4年10月20日(1447年11月28日)付の「刑部大輔昌隆押書」(福島県編 1966 所収文書 49−三八)。
  2. ^ 現存する同時代の資料(史料)で城の名称を直接表しているものはない。そのかわり、16世初頭から現れる「平」という地名が、城館を参照しているとみることができるような際にも、使われている。たとえば岩城重隆の晩年(永禄10(1567)ないし11(1568)年)のものとみられる書状(福島県編 1966 所収文書 10-二六)の「老母を平ニ閣候上」での「平」は、地名でもあるが、城館を指しているともみなせる。
  3. ^ 福島県教育委員会による中世城館の調査報告書(福島県教育委員会編 1988)で使われた名称に由来すると思われる。ただし同報告書での「飯野平城」は、「従来の通称『大館』城と『高月館』および飯野八幡宮を包含する一帯に存在した中世の城館を連続してとらえ、…扱」う(p. 258)ための名称とされ、大館(城)の単なる別称・異称とはされていない。
  4. ^ 前掲、岩城重隆書状(福島県編 1966 所収文書 10-二六)の中で「平」とは別に「飯野へ帰城」といった表現が使われているので、戦国時代(16世紀中頃)当時「平」と「飯野」は別の地名であり、「飯野平」のような地名や「飯野平城」のような呼称・名称はなかったものとみられる。
  5. ^ 「飯野平」が現れる最も古い(現存)資料は、『続群書類従』巻第百三十九の磐城系図である。
  6. ^ 大須賀筠軒 1912、p. 22
  7. ^ 『寛政重修諸家譜』巻五百十二 岩城
  8. ^ 『続群書類従』巻第百三十九 磐城系図
  9. ^ 2018年3月31日までは国道、翌4月1日からは県道。

参考文献[編集]

  • 井上宗和 『日本の名城・古城』 角川書店〈角川文庫〉、1985年。
  • 大須賀筠軒、小山祐五郎編 『磐城史料 巻上』 平町(福島県): 小山祐五郎、1912年。(国立国会図書館デジタルコレクション 磐城史料. 巻上
  • 『寛政重修諸家譜』 巻五百十二 岩城 (国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重脩諸家譜. 第3輯 コマ番号375/597以下、寛政重修諸家譜 1520巻.[121] コマ番号43/120以下)
  • 『続群書類従』 巻第百三十九 磐城系図 (続群書類従完成会版 第六輯上 所収)
  • 福島県編 『福島県史 第7巻 : 資料編2 古代・中世資料』 福島県、1966年。
  • 福島県教育委員会編 『福島県の中世城館跡:福島県文化財調査報告書第197集』 福島県教育委員会、1988年。