大里町 (埼玉県)
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おおさとまち 大里町 | |||||
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廃止日 | 2005年10月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 大里町、熊谷市、妻沼町→熊谷市 | ||||
現在の自治体 | 熊谷市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 埼玉県 | ||||
郡 | 大里郡 | ||||
市町村コード | 11401-4 | ||||
面積 | 15.58 km2 | ||||
総人口 |
8,443人 (2005年10月1日) | ||||
隣接自治体 | 熊谷市、東松山市、吹上町、吉見町 | ||||
町の木 | けやき | ||||
町の花 | ひまわり | ||||
町の鳥 | ひばり | ||||
大里町役場 | |||||
所在地 |
〒360-0195 埼玉県大里郡大里町中曽根654-1 | ||||
外部リンク | 大里町公式ホームページ(アーカイブ) | ||||
座標 | 北緯36度06分09秒 東経139度24分33秒 / 北緯36.10244度 東経139.40903度座標: 北緯36度06分09秒 東経139度24分33秒 / 北緯36.10244度 東経139.40903度 | ||||
ウィキプロジェクト |
大里町(おおさとまち)は、埼玉県の北部に位置していた町である。2005年10月1日、熊谷市および大里郡妻沼町と合併し、新しい熊谷市の一部となったため消滅した。
町名の由来は古代から続いている大里郡の郡名にちなむ[1]。
地理
[編集]西の比企丘陵と東の荒川に挟まれた地域にあった[2]。領域の低地一帯は条里制の遺構を遺す田園地帯であった[1]。南部の一部は洪積層の丘陵地に位置する。
隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]古代の武蔵国大里郡市田郷(市田付近)、横見郡御坂郷(吉見付近)の地で、6世紀後半の前方後方墳とうかん山古墳(全長74m)が残る。
沿革
[編集]- 1955年(昭和30年)1月1日 - 大里郡市田村・吉見村が合併して大里村が成立した[3][4]。役場を大字吉所敷に設置。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 町制施行[2]。日本では最後の単独町政を施行した村となった。
- 2005年(平成17年)9月27日 - 大里町閉町式開催。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 熊谷市・大里郡妻沼町と合併(新設合併)し、新たに熊谷市となる。
行政
[編集]歴代首長
[編集]代(村) | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
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初 | 武田一好 | 1955年2月11日 | 1959年2月10日 |
2 | 小林種慶 | 1959年2月11日 | 1963年2月10日 |
3 - 4 | 金子敬司 | 1963年2月11日 | 1971年1月17日 |
5 | 武田一好 | 1971年1月18日 | 1975年1月17日 |
6 - 9 | 堀茂平 | 1975年1月18日 | 1991年1月17日 |
10 - 12 | 吉原文雄 | 1991年1月18日 | 2002年3月31日 |
代(町) | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
初 - 2 | 吉原文雄 | 2002年4月1日 | 2005年9月30日 |
地域
[編集]学校
[編集]小学校
[編集]- 大里町立吉見小学校
- 大里町立市田小学校
中学校
[編集]県の施設
[編集]- 埼玉県文化財収蔵施設
- 熊谷警察署大里駐在所
経済
[編集]米麦二毛作が中心で近郊型農業や花卉栽培もさかんである。
交通
[編集]国道
[編集]県道
[編集]主要地方道
[編集]一般県道
[編集]バス
[編集]提携都市
[編集]国内
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]出身有名人
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。