大西椿年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大西 椿年(おおにし ちんねん、寛政4年(1792年) - 嘉永4年11月6日1851年11月28日))は江戸時代後期の南画家

は大寿。は楚南・運霞堂・霞翁など。通称は行之助。江戸の生まれ。

略伝[編集]

幕府手代を務め、浅草鳥越橋付近(現・台東区浅草橋3丁目)に住んだ。

円山応挙の高弟・渡辺南岳が一時江戸に移り住んだとき入門し円山派の画法を習得。江戸に円山派を広める役割を果たした。南岳の帰京後、谷文晁の画塾写山楼に入り、様々な画派(南画南蘋派北宗画大和絵狩野派など)の技法を修める。人物図・花鳥図など画作したが特に亀の戯画に人気があった。渡辺崋山曲亭馬琴亀田鵬斎らと交友した。

行年60歳。浅草金剛院に葬られたが、現在墓所は熊野山安泰寺大田区西糀谷)にある。門弟に洋画家・川上冬崖淡島椿岳がいる。

刊行物[編集]

  • 『楚南画譜』天保5年(1834年)
  • 『椿年画譜』文政12年(1829年)
  • 『あつまの手ぶり』 文政12年(1829年)
  • 『太平有象』
  • 『日光山志』

挿絵[編集]

作品[編集]

亀の戯画

脚註[編集]

  1. ^ 北海道博物館編集 『夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界』 「夷酋列像」展実行委員会北海道新聞、2015年9月5日、p.84。

参考文献[編集]