蔵奉行

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蔵奉行(くらぶぎょう)は、江戸時代江戸浅草浅草御蔵)をはじめとする主要都市にあった幕府の御米蔵の管理を司った奉行勘定奉行の支配下にあり、役料200俵、焼火の間席。属僚として組頭、手代、門番同心、小揚者などがあった。

蔵奉行という言葉の初出は慶長15年(1610年)とされ、江戸の浅草御蔵の成立は元和6年(1620年)成立と言われている。ただし、蔵奉行の組織の成立は経済的先進地であった上方の方が先んじており、大坂では元和7年(1621年)、京都では寛永2年(1625年、ただし寛政2年(1790年)までは京都町奉行支配下)、江戸では寛永13年(1636年)の事であった。また一時期は駿河国清水近江国大津摂津国高槻にも設置されたが、幕末まで存続したのは江戸・京都・大坂の3ヶ所のみである。

何百石取りというように知行地のある地方知行旗本とは別に、三十俵二人扶持というように御蔵米から3季に分けて切米を俸禄として貰う御家人(一部の旗本も含む)たちを蔵米知行・蔵米取りというが、彼らに渡す米穀を取り扱った。蔵米取りの御家人は自家消費分以外の切米(米穀)を、御米蔵の前に店を構える札差を通じて現金化した。浅草・蔵前の地名はこれが由来である。

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