大山廃寺跡

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塔跡
塔跡

大山廃寺跡(おおやまはいじあと)は、愛知県小牧市北東部の山中にかつて存在した寺院の跡である。

概要[編集]

正式な名称は「大山峰 正福寺」(おおやまみね しょうふくじ)。通称は「大山寺」(おおやまでら)。1929年昭和4年)に史跡に指定されている。

建物などはまったく残っておらず、僧坊[1]があったとみられる平たくなった所に、を支えるために設置されたと考えられている5つの礎石がある。また同寺と所縁がある児神社境内から、近年になって平安時代の掘立柱建物3棟と中世の礎石建物2棟が見つかっている。一帯からは陶磁器なども多数見つかっているが、これらの遺物は現在小牧市歴史館に展示・保存されている。

歴史[編集]

創建は7世紀後半と考えられている。一時は「西の比叡山延暦寺、東の大山寺」と称されるほど隆盛を極めたが、1152年に比叡山延暦寺と三井寺との間に起きた法論の際、三井寺の僧徒によって襲撃され、寺は焼き討ちにあった。建物は跡形もなく焼き尽くされ、和尚と2人の稚児(子供の修行僧)が死亡した[2]。以後細々と続いていたが、15世紀中頃に完全に廃絶した。

年表[編集]

その他[編集]

正福寺の所蔵品と考えられている仏像文化財が、大山廃寺跡からを少し下った場所にある江岩寺に、多数所蔵されている。

大山廃寺跡を含む一帯地域は、愛知県の「自然環境保全地域特別地区」に指定されている。

所在地[編集]

交通手段[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 僧侶が修行・生活した建物。
  2. ^ その後この2人の稚児の霊を静める目的で、寺の近くに神社が建てられた。詳細は「児神社 (小牧市)」参照。

関連書籍[編集]

  • 『まぼろしの大山廃寺展解説』 小牧市経済福祉部商工課/編(1972年
  • 『大山廃寺遺跡概説』 入谷哲夫/著(1973年
  • 『大山廃寺発掘調査中間概報1』 小牧市教育委員会/編(1975年
  • 『大山廃寺発掘調査中間概報2』 小牧市教育委員会/編(1976年
  • 『大山廃寺発掘調査中間概報3』 小牧市教育委員会/編(1977年
  • 『大山廃寺発掘調査中間概報4』 小牧市教育委員会/編(1978年
  • 『大山廃寺発掘調査報告書』 小牧市教育委員会/編(1979年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度19分22.9秒 東経137度0分20.0秒 / 北緯35.323028度 東経137.005556度 / 35.323028; 137.005556