大場政夫
大場 政夫(おおば まさお、1949年10月21日-1973年1月25日)は、東京都足立区出身の元プロボクサーで、WBA世界フライ級王座5度の防衛に成功後、現役世界王者のまま不慮の事故死を遂げたため「永遠のチャンプ」と称される。右ボクサーファイター。「弱肉強食」の象徴としてピラニアをペットにしていた。端正なマスクやスリリングなファイトで日本プロボクシング史上で女性人気も群を抜いている。
アメ横の有名な菓子問屋「二木の菓子」に勤めていた。
来歴
- ギャンブル好きの実父の影響で家計は苦しく極貧の環境で育つ。しかしプロボクシングファンだった実父の影響で、小学生の頃から「プロボクシングで世界王者になり、両親のために家を建てよう」と人生の目標を設定していた。
- 義務教育修了した直後1965年6月1日東京・帝拳ジム入門。(担任トレーナーは桑田勇。ただし一時期師弟関係に齟齬をきたし高田茂男が担当していた時期も有った。当初は身長160cm体重48kgとアスパラガスの様に貧弱でマネージャー長野ハルもプロボクサー向きか疑問視していた。大場の入門から32日後に会長本田明が逝去し立教高校3年本田明彦が新会長就任)
- 1966年11月プロデビュー。東日本新人王エントリーしたが予選で引分敗者扱い
- 1970年10月22日、世界初挑戦でベルクレック・チャルバンチャイ(タイ)を13回KOに降し、WBA世界フライ級王座獲得(日本テレビでゴールデンタイムに全国生中継。この試合を前に、所属ジムは違うが現役のWBA世界スーパーフェザー級王者で大場の死後に帝拳トレーナーとなる小林弘と合同キャンプ)
- 1971年4月1日、ペツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)を15回判定で降し初防衛。
- 1971年10月23日、フェルナンド・カバネラを15回判定で降し2度目の防衛。
- 1972年3月4日、花形進を15回判定で降し3度目の防衛。
- 1972年6月20日、オルランド・アモレスを5回KOに降し4度目の防衛。
- 1973年1月2日、チャチャイ・チオノイ(タイ)を12回KOに降し、5度目の防衛に成功。
- 1973年1月25日、交通事故により死去。享年23。
ラストファイト
1973年1月2日、日大講堂で行われた5度目の防衛戦の相手は「稲妻小僧」の異名を持つベテラン、チャチャィ・チオノイ(タイ)。初回、いきなりの右ロング・フックをまともに受け大場はダウン。この時大場は右足首を捻挫、以降ラウンド間に氷で冷やしつつ、足を引きずりながらも打ち合いに応じていった。
大場は、強気のボクシングで試合中盤から形勢を逆転し、ついに最終12回、チャチャィから1度目のダウンを奪う。タイの老雄はレフェリーに促されるように立ち上がるが、鬼気迫る表情の大場の連打に晒され2度、3度とダウン。大場は逆転KO勝利を収めた。
しかし、5度目の防衛戦からわずか3週間後の1月25日、東京・首都高速道路で愛車シボレー・コルベット・スティングレーを運転中、中央分離帯を乗り越え、対向車線から走ってきたトラックと衝突。この事故で現役世界王者のまま23歳というあまりにも短い生涯を終えた。
ちなみに、大場は身長168cm・リーチ170cmと当時のフライ級では破格の体格を生かしたスピーディーでスタイリッシュなアウトボクサーだったが、その体格ゆえ常に減量苦を強いられていた。強靭な精神力で減量苦を乗り越え、バンタム級での二階級制覇も目論んでいた。
大場の形見のボクサーライセンスやニットキャップは、大場に憧れボクサーを志し鳴り物入りで帝拳からプロデビューし「大場二世」と騒がれた葛西裕一が所有している
帝拳ジム所有のマンションの大場の住んでいた部屋は、大場死後浜田剛史、玉城信一、木村鋭景、稲田千賢が歴代の住人となる。
また、大場と共に合宿していた浅尾和信は大場死後JBCレフェリーとなり、大場逝去から1年半後に出生した一人息子浅尾雄太は帝拳ジム・マネージャーとなった。
大場の担任トレーナー桑田は、大場死後も穂積秀一、八尋史朗といったフライ級世界ランカーを育てた。(穂積や八尋も長身でリーチが恵まれた技巧派ボクサー)
戦績
- プロボクシング:38戦35勝(16KO)2敗1分。
獲得タイトル
- WBA世界フライ級王座(防衛5回)
- 1970年10月22日対バークレルク・チャワンチャイ(タイ)13RKO勝ちでタイトル獲得。
- 1971年4月1日対ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)15R判定勝ちで初防衛。
- 1971年10月23日対フェルナンド・カバネラ(フィリピン)15R判定勝ちで2回目の防衛。
- 1972年3月4日対花形進(日本・横浜協栄)15R判定勝ちで3回目の防衛。
- 1972年6月20日対オーランド・アモレス(パナマ)5RKO勝ちで4回目の防衛。
- 1973年1月2日対チャチャイ・チオノイ(タイ)12RKO勝ちで5回目の防衛。