葛西裕一

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葛西 裕一
Yūichi Kasai 2010.jpg
基本情報
本名 葛西 裕一
階級 スーパーバンタム級
身長 174cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1969-11-17) 1969年11月17日(48歳)
出身地 神奈川県横浜市瀬谷区
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 29
勝ち 24
KO勝ち 16
敗け 4
引き分け 1
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葛西 裕一(かさい ゆういち、1969年11月17日 - )は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の元プロボクサーで、帝拳ジム所属のトレーナー174cm。

人物[編集]

ブルース・リーにはまり格闘技好きに。中学時代に親友と一人の世界チャンピオンの影響でボクシングを始める。1987年横浜高校2年時関東大会優勝、第42回国民体育大会優勝3年時に全日本高校バンタム級チャンピオン。専修大学法学部中退(アマチュア通算48戦44勝24RSC4敗、同級生に松本好二)しマネージャー長野ハルからスカウト受け大場政夫の属していた帝拳ジムからプロデビュー。日本ならびに東洋太平洋ジュニアフェザー級(現・スーパーバンタム級)王座獲得。無敗で世界挑戦、同級での世界挑戦も3度経験。

その後 帝拳ジムトレーナーとして後進の指導に当たりながら、日本テレビダイナミックグローブ解説WOWOWエキサイトマッチ解説CSベストマッチセレクション解説西岡利晃三浦隆司五十嵐俊幸下田昭文を世界王者にしている。2013年に、帝拳がプロモートを担当する村田諒太【ボクシング】村田諒太が鮮烈デビュー、東洋太平洋王者にTKO勝ち

葛西に憧れ帝拳ジムに入門した大和心は横浜高校の6年後輩。元広島東洋カープ投手の高橋建は同級生。 最高位 WBA1位 WBC 1位

戦歴[編集]

  • 1989年8月12日、プロデビュー。
  • 1992年9月5日、15戦目で日本王座初挑戦。小泉秀司と空位の日本ジュニアフェザー級(現:スーパーバンタム級)王座を争い、2回KO勝ち。王座獲得に成功。12月5日には阿部真一を7回TKOに降し、初防衛成功。
  • 1993年4月3日、現役世界ランカーのアブラハム・トーレス(ベネズエラ)とノンタイトル10回戦を戦い、フルラウンドの死闘の末、引き分け。デビュー戦からの連勝は16でストップするが、無敗はキープしたまま。
  • 同年7月3日、山岡正規を10回判定で破り、日本王座2度目の防衛成功。その後、12月20日に王座返上。
  • 1994年3月2日、無敗のまま20戦目で世界初挑戦。東京体育館WBA世界ジュニアフェザー級王者ウィルフレド・バスケスプエルトリコ)に挑むが、自身初の敗北。
  • 世界初挑戦後、ベネズエラ武者修行に。現地でノンタイトル戦2試合を行い、いずれもKO勝ち。
  • 同年9月24日、ベネズエラで南米ジュニアフェザー級王座決定戦出場。ラモン・グスマン(ベネズエラ)と対戦5回ダメージ与えたかに見えたダウン奪うもスリップと判定、6回開始早々ドクターチェックを受け、6回負傷TKO負けとなり王座獲得ならず。その後、日本に帰国。
  • 1995年2月4日、帰国初戦でOPBF東洋太平洋ジュニアフェザー級王座挑戦。権熙允(韓国)をダウンを奪う12回判定で破り、王座獲得に成功。6月3日にはジュン・リヤノ(フィリピン)を10回KOで破り、初防衛に成功。その後、ノンタイトル戦を2度行い、1996年10月14日、東洋太平洋王座返上。
  • 1996年12月21日、世界再挑戦。米国ラスベガスに渡り、前年にバスケスからWBA世界ジュニアフェザー級王座を獲得したアントニオ・セルメニョ(ベネズエラ)に指名挑戦者として挑み追い詰めるが、12回判定で惜敗。
  • 1997年7月26日、3度目の世界挑戦。横浜アリーナでセルメニョと再戦。最終・12回、王者の連打をまともに浴び、後頭部をキャンバスに強打する痛烈なダウン。ノーカウントで試合がストップされ、TKO負け。試合後、担架に乗せられ、そのまま会場近くの病院へ直行したが、幸い大事には至らず。結局、この試合を最後に引退。その後、9月26日東京後楽園ホールのリングにセコンド初登場。
  • 2008年エディ・タウンゼント賞受賞

戦績[編集]

通算29戦24勝(16KO)4敗1分

獲得タイトル[編集]

  • 日本ジュニアフェザー級王座
  • 東洋太平洋ジュニアフェザー級王座

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]