大井卜新

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大井卜信

大井 卜新(おおい ぼくしん、天保5年3月10日1834年4月18日) - 大正13年(1924年5月11日)は、江戸時代医師明治大正期の薬剤師、実業家、政治家。

略歴[編集]

和歌山県平民・大井源四郎の長男として紀伊国牟婁郡西山郷平谷村(現三重県熊野市紀和町平谷に生まれ、大坂(京都?)で蘭学と医学を学び、さらに長崎オランダ人ボンベ・ボートエンのもとで蘭医学を学んで[1]蘭学医となる。長崎に9年いたのち、飫肥藩で1年洋医学を教え、慶応元年に大阪で開業[1]。大坂歩兵屯所付き医師として伏見の役に参加、和歌山藩士に列せられ、大阪府仮病院(現・大阪大学医学部附属病院)医師となる[1]。明治維新後は大学得業生、文部省助教を経て薬剤師となり、1876年に大阪で薬局開業[1]。その後大阪府会議員などを経て、1904年に衆議院議員に当選(三重県郡部5、立憲政友会)。このほか、中外生命保険会社設立、硫酸肥料伊和鉄道大阪電灯などの重役、大阪商業会議所副会頭も務めた。1909年には渋沢栄一率いるアメリカ実業界視察旅行「渡米実業団」に参加した。

人物[編集]

  • 花街の赤坂田町5丁目に住んでいたが、節約のため、自宅に美人の女中を雇い、振袖を着せていた[2]
  • 91歳没という長寿を誇り、薄田泣菫は著書の中で「卜新老は人も知ってる通り若い妾を可愛がるので名高い人だ」と記した[3]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 故大井卜新君『会員追悼録』p72, 日本工業倶楽部、1925。
  2. ^ 『風流議会 : 政客艶話』紅夢楼著 (磯部甲陽堂, 1914)
  3. ^ 大井卜新『茶話』薄田泣菫、青空文庫

外部リンク[編集]