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外山麻貴

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外山 麻貴
とやま まき
生年月日 (1971-06-26) 1971年6月26日(52歳)
出生地 大阪府堺市
出身校 大阪府立泉陽高等学校
前職 富士見市学童保育指導員
現職 朝霞市議会議員
所属政党

(オリーブの木→)

つばさの党
配偶者 黒川敦彦(内縁?)[1]

当選回数 2回
在任期間 2019年12月18日 -

つばさの党広報部
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外山 麻貴(とやま まき 1971年昭和46年〉6月26日 - )は日本の政治家[2]つばさの党の広報担当。埼玉県朝霞市議会議員(2期)。

来歴[編集]

大阪府立泉陽高等学校[3]を卒業後、埼玉大学中退。富士見市学童保育指導員を経て、政界に進出し「やる気、元気、外山まき!」をスローガンに議員活動を展開してきた[4]。政治活動にはついては十代のころから左翼運動に関わっていたとしている。しかしながら内紛に明け暮れる左派に失望し、立花孝志黒川敦彦らの「既得権益をぶっこわす」ことを公約に掲げた諸派党構想の運動に共鳴し、「つばさの党」に加わったとし[5]、同じく黒川敦彦の主張に共感して「つばさの党」に参加した杉田勇人との3人で「つばさの党」を中心となって運営してきたとする[6]

同党においては広報部に籍を置き、党の広報活動を担当している。同党の党首黒川敦彦の内縁の妻である(2024年5月現在)[7]

2019年12月の朝霞市議会議員選挙にオリーブの木公認で立候補し、16位で当選[8]2023年12月の朝霞市議会議員選挙につばさの党公認で立候補し、3位で当選[9]。 2024年6月10日、前年の朝霞市議選の運動のあり方や東京15区補選での運動に問題があったとして、朝霞市議会本会議において「外山麻貴議員に対する問責決議」が賛成22、反対1で可決。その前に市議会のルール変更の議案での討論で問題発言があったとして、2024年6月14日「外山麻貴議員に対する懲罰動議」が発議され、懲罰委員会での審査が開始された。懲罰動議の指摘事項に対して外山は、指摘された点に撤回、発言取り消し、お詫びが行われている。

政治家として[編集]

直接民主制、ダイレクトデモクラシーに興味があるとしている。予算の1%を住民投票で決められたら、街の風景、未来の設計図が変わるとしている[10]
1期目の当選後、朝霞市議会の会派「輝政会」に参加。[11]富岡勝則朝霞市長の与党会派議員として活動し、富岡市政を支える。その後、会派の分裂により「あさか未来」に参加。 民生常任委員会副委員長、朝霞市情報公開・個人情報保護審議会委員、朝霞市環境審議会委員、公益財団法人朝霞市文化・スポーツ振興公社評議員などを歴任。

東京都第15区衆議院補欠選挙運動[編集]

本人が語るところによれば選挙期間中「撮影部隊として1日だけ行ったんです」として街宣活動にはほとんど関わっていないとのことである[12]。その一方、「黒川と同居しているので家宅捜索と逮捕されるときに同席していた」という理由から自身も逮捕される可能性はあると覚悟はしているとしている[12]

黒川ら最高幹部の逮捕後は党のスポークスマンとしてマスコミへの対応を担っている。 2024年5月19日つばさの党最高幹部の逮捕後、テレビ朝日の取材を受け、逮捕については「本当にあってはならない弾圧が行われてしまいました。本当に不当逮捕だと私は訴えたい」と述べ逮捕自体の不当性を訴えた。その一方「本当にうちの黒川、根本、○○はちょっとお行儀が悪かったかもしれない」とし運動の方法については適切でなかった面があったことは認めている[12]

外山は記者取材に対し、黒川は2019年参院選落選後もチラシ配りなど地道な活動を続けていたが、旧NHK党の党首だった立花孝志からユーチューブを使った炎上商法を学んだと語り、このことが黒川らの活動の転機となったことを示している[6]。外山自身は、黒川らの選挙妨害については揚げ足をとられるし弾圧に利用されるとして批判的で息の長い運動をすべきだとしている[7]

著作[編集]

  • 「見ているだけの選挙から「参加する選挙」へ でんわ勝手連 外山麻貴さんに聞く 「でんわかけ」で未来をつかみにいこう!」『週刊金曜日』24(25):25ff. 2016-7-1

人物[編集]

俳句が趣味であり、俳句の会「やよい会」に参加している。

脚注[編集]

外部リンク[編集]