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埴原月岬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

埴原 月岬(はにわら げっこう、生没年不詳)とは、江戸時代後期の浮世絵師

来歴

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沼田月斎の門人。姓は埴原、俗称は宮内、後に次郎左衛門と改名した。月岬、三代目歌政と号す。275石取りの尾張藩士。青年期に城勤めの傍ら、月斎のもとで絵の修行をしていた。文化1804年 - 1818年)から天保1830年 - 1844年)頃に肉筆浮世絵を描き、美人画を得意とした。画風は、月斎よりもその師の牧墨僊や、月斎の兄弟弟子の森玉僊に似ている。画力は門人の中でも抜きん出ており、牧墨僊以来の画号「歌政」を譲られている。中年以降は藩士としての仕事に励み、かなりの出世を遂げたといわれる。また武道に優れ、特に騎射をよくした。慶応1865年 - 1868年)年間に没したとされるが、詳細は不明。

作品

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脚注

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  1. ^ 名古屋市美術館 中日新聞社文化事業部編集 『郷土の美人画考─江戸から現代まで─』 名古屋市美術館 中日新聞社 東海テレビ放送、1997年、pp.44、109。

参考文献

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  • 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻)-(1982年、大修館書店)