坂本直鎮
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 享保3年(1718年)[注釈 1] |
死没 | 天明6年8月17日(1786年9月9日) |
改名 | 治富[1][2]→直鎮 |
別名 | 四郎五郎[1][2]、小左衛門[1][2](通称) |
戒名 | 日秋[3] |
墓所 | 東京都港区北青山の持法寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 柴田氏→坂本氏 |
父母 |
父:柴田勝富 母:水野忠増の養女 養父:坂本直規 |
兄弟 |
柴田勝定、柴田伊織、曲淵景福、柴田勝豊、坂本直鎮、柴田勝惟、熊倉登茂英の妻 [1] 養家の兄弟:坂本成亮、三宅康英の妻、直鎮の妻 [3] |
妻 | 坂本直規の娘[3] |
子 |
坂本直富の妻、岡部長久の妻、江原全義の妻、柴田勝房、野々山兼続 [3] 養子:坂本直富 [3] |
生涯
[編集]旗本・柴田勝富の五男として生まれる[2][1]。柴田家は柴田勝家の子孫にあたる3520石の大身旗本であった[注釈 2]。生家は兄の柴田勝定が継いでおり、直鎮は1700石の御小姓組番士・坂本直規の婿養子となる[2][注釈 3]。
養父の死により、延享4年(1747年)8月6日に家督を継ぐ[2]。寛延元年(1748年)、御小姓組番士[2]。
天明6年(1786年)、69歳で没[3]。
家は婿養子の坂本直富(六郷政豊の子)が継いだが、実子の男子2人も記録されている。柴田勝房(直鎮の二男として扱われている[1])は、柴田勝満[注釈 4]の末期養子となり、直鎮の生家である柴田家を継いだ[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第百三十一「坂本」
- 『寛政重修諸家譜 第一輯』(国民図書、1922年) 国立国会図書館デジタルコレクション
- 『新訂寛政重修諸家譜 第三』(続群書類従完成会)