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国司就久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
国司就久
時代 江戸時代
生誕 寛永12年(1635年
死没 元禄9年11月22日1696年12月16日
改名 桂宮次郎(幼名)→桂就久→国司就久
別名 通称:左兵衛、又兵衛
主君 毛利秀就綱広吉就吉広
長州藩
氏族 大江姓毛利氏庶流桂氏高階姓高氏庶流国司氏
父母 父:桂就正
養父:国司就直
正室:国司就直の娘
政信
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国司 就久(くにし なりひさ)は、江戸時代武士毛利氏の家臣で長州藩士。桂元忠(河内守)の長男である桂就正の嫡男だったが、国司就直の養子となる。知行は200石。

生涯

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寛永12年(1635年)、長州藩士である桂就正の嫡男として生まれたが、男子のいなかった国司就直の婿養子となり、国司氏を相続した。

就久は毛利秀就綱広吉就吉広の四代に仕え、元禄9年(1696年11月22日に死去。享年62。子の政信(半十郎、六之丞、左兵衛、平兵衛)が後を継いだ。

参考文献

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