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和田盈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和田 盈
生誕 1889年7月26日
日本の旗 日本 岡山県
死没 (1974-10-17) 1974年10月17日(85歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1909年 - 1939年
1941年 - 1943年
最終階級 陸軍中将
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和田 盈(わだ みつる[1]1889年明治22年)7月26日[2] - 1974年昭和49年)10月17日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

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1889年(明治22年)に岡山県で生まれた[2]陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第29期(優等)卒業[2]。ドイツ駐在を経て[1]1933年(昭和8年)1月31日に独立山砲兵第3連隊長に就任し[1]3月18日陸軍砲兵大佐に進級した[1]1934年(昭和9年)8月に野戦重砲兵第9連隊長に転じ[1]1936年(昭和11年)3月28日陸軍工科学校教授部長[1]8月1日に陸軍工科学校幹事を経て[1]1937年(昭和12年)8月2日に陸軍少将進級と同時に第9師団司令部附となった[1][2]

1938年(昭和13年)7月15日に陸軍工科学校長に就任し[1]1939年(昭和14年)10月2日に陸軍中将に進級し待命[1]10月26日予備役に編入された[2]1941年(昭和16年)11月19日に召集され、西部防空旅団長(西部軍)に就任し[2]1943年(昭和18年)6月10日に召集解除となった[2]

栄典

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勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 外山 1981, 264頁.
  2. ^ a b c d e f g h 福川 2001, 807頁.
  3. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026