呂号第四潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
艦歴
計画 大正6年度計画[1]
起工 1919年12月22日[1]
進水 1921年6月22日[1]
就役 1922年5月5日[1]
除籍 1932年4月1日[1]
その後 1933年12月15日雑役船編入、橋船に指定、公称第3021号と改名[2]
終戦時、黄埔江上海港務部前の桟橋として使用中[2]
性能諸元
排水量 基準:689トン 常備:740トン
水中:1,047トン
全長 65.58m
全幅 6.07m
吃水 4.04m
機関 フィアット式ディーゼル2基2軸
水上:2,600馬力
水中:1,200馬力
速力 水上:14.27kt
水中:8.01kt
航続距離 水上:10ktで3,500海里
水中:4ktで75海里
燃料 重油
乗員 43名
兵装 機銃1挺
45cm魚雷発射管 艦首3門、艦尾2門
魚雷8本
備考 安全潜航深度:30.5m

呂号第四潜水艦(ろごうだいよんせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂三型潜水艦(F2型)の2番艦。竣工時の艦名は第三十二潜水艦

艦歴[編集]

1919年大正8年)12月22日、神戸川崎造船所で起工。1921年(大正10年)6月22日進水。1922年(大正11年)5月5日竣工。竣工時の艦名は第三十二潜水艦、二等潜水艦に類別[1]1924年(大正13年)11月1日、呂号第四潜水艦に改称[1]1932年昭和7年)4月1日に除籍。

1933年(昭和8年)12月15日、雑役船に編入され、橋船となり公称第3021号と改名。終戦時、黄埔江上海港務部前の桟橋として使用していた。

呂一型潜水艦よりも速力が3ノット低下し、艦隊に随伴する能力がないと判断され、鎮守府の警備艦として使用された[3]

歴代艦長[編集]

※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長[編集]

  • (心得)樋口修一郎 大尉:1921年7月1日 - 1922年1月10日
  • (心得)高塚省吾 大尉:1922年1月10日 - 1922年5月5日[4]

艦長[編集]

  • (心得)高塚省吾 大尉:1922年5月5日[4] - 1923年12月1日
  • (心得)三輪茂義 大尉:不詳 - 1922年12月1日[5]
  • (心得)森野草六郎 大尉:1923年12月1日 - 1924年5月30日
  • (心得)大橋龍男 大尉:1924年5月30日 - 1925年12月1日
  • 林清亮 大尉:1925年12月1日[6] - 1927年1月10日[7]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『日本海軍史』第7巻、366頁。
  2. ^ a b 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇艦歴表」16頁。
  3. ^ 『日本海軍の潜水艦』23頁。
  4. ^ a b 『官報』第2927号、大正11年5月8日。
  5. ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  6. ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  7. ^ 『官報』第9号、昭和2年1月11日。

参考文献[編集]

  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。