吾妻勝剛
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吾妻 勝剛(あづま かつたけ、1867年11月1日〈慶応3年10月6日[1]〉- 1923年〈大正12年〉9月1日[1])は、明治から大正時代の産婦人科医。
経歴
[編集]生家は出羽久保田藩医[1]。1875年(明治8年)上京し普通学を修めたのち、1880年(明治13年)より同人社および独逸学校などに学び、1884年(明治17年)9月、大学予備門に入り、1890年(明治23年)9月に帝国大学医科大学に入学し、1893年(明治26年)11月、卒業した[2]。卒業後、医科大学産科婦人科学教室助手となり、1898年(明治31年)2月には文部省の命によりドイツに留学する[2]。帰朝後の1899年(明治32年)12月、京都帝国大学医科大学助教授となり、再度の留学を経て、1901年(明治34年)6月に帰朝した[2]。
同月教授に就任し、産科婦人科学教室主任となり、1906年(明治39年)10月、教職を辞した[2]。ついで東京産科婦人科病院に入ったのち、1910年(明治43年)5月に同病院を辞し、順天堂病院産科婦人科主任となった[2]。のち東京に吾妻病院を設立するが、関東大震災により死去した[1]。
著作
[編集]単著
[編集]- 『お産の心得』大倉書店、1911年11月。全国書誌番号:40069344 NDLJP:849229。
- 『お産の心得』(再版)大倉書店、1915年4月。 NCID BA50016684。
- 『お産の話』新橋堂書店〈家庭医学叢書 第1編〉、1915年9月。 NCID BN02761615。
共著
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 清田伊平『日本ダイレクトリー : 御大典紀念』甲寅通信社編集部、1915年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。