吉窪城 (長野県) | |
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城郭構造 | 山城 |
築城主 | 小田切氏 |
主な城主 | 小田切幸長 |
廃城年 | 1557年 |
遺構 | 曲輪、土塁 |
指定文化財 | なし |
位置 |
北緯36度37分30.7秒 東経138度07分22.1秒 |
地図 |
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村上氏の支族・小田切幸長の居城であった。 犀川沿いにあり、大町方面と、善光寺、川中島を結ぶ要衝にあった。 弘治3年(1557年)、武田信玄は、葛山城を攻略した。 吉窪城主小田切幸長は葛山城主落合治吉と共に葛山城に籠城し、吉窪城は子の民部少輔が守った。しかし、葛山城の落城と共に吉窪城も落城した。
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