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北川千代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北川 千代
きたがわ ちよ
大正12年
誕生 北川 千代
1894年6月14日
埼玉県榛沢郡大寄村
(現:深谷市
死没 (1965-10-14) 1965年10月14日(71歳没)
職業 児童文学作家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 三輪田高等女学校
ジャンル 児童文学
主な受賞歴 第六回児童文化功労章
活動期間 1930~1960年代
所属 赤瀾会
ウィキポータル 文学
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北川 千代(きたがわ ちよ、1894年6月14日 - 1965年10月14日)は、日本の児童文学作家。筆名に松平鏡子、松平千代子、江口千代、大久保千代子、露おく籬、露子、露香[1]

没後、日本児童文学者協会により「北川千代賞」が創設された。同賞は1969年から1982年まで存続した[2]

経歴

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1894年(明治27年)6月14日埼玉県榛沢郡大寄村(現・深谷市上敷免)生まれ。父親の俊は日本煉瓦製造株式会社の上敷免工場長だった[3]

三輪田高等女学校在学中より『少女世界』『少女の友』に投稿をはじめる。1911年(明治44年)、病気で中退するが『女学世界』より原稿を依頼され、「街はずれの記」で原稿料50円を得る[4]

1915年(大正4年)11月に両親の反対を押し切り、東京帝国大学在学中の小説家江口渙と結婚。1917年(大正6年)に父母を相次いで亡くす。

1919年(大正8年)、『赤い鳥』に江口千代の名で「世界同盟」を発表する[5]

1921年(大正10年)、社会主義女性団体赤瀾会に参加し会計を務める。1922年(大正11年)江口と離婚し、足尾銅山ストライキを指導した労働運動家の高野松太郎と東京・三河島で同棲を開始する。三河島では廃娼運動に携わる。1923年(大正12年)に関東大震災で被災する。貧しい生活を送る中で童話を創作し、新聞や『令女界』『少女倶楽部』などの雑誌に発表する。

1927年(昭和2年)、大森で高野と養兎業をはじめる。ウサギのほかに鶏や七面鳥、あひる、ヤギなど多くの小動物を飼育した。 4月、兄妹を訪ねて単身で朝鮮・中国へと渡る。

同棲して10年目の1932年(昭和7年)10月に高野松太郎と結婚する。

1935年(昭和10年)、区画整理のため世田谷区弦巻町に移る。

1940年(昭和15年)、新聞広告で見た千葉県山武郡蓮沼の家を2500円で購入する。

1943年(昭和18年)3月9日、夫の高野松太郎が狭心症のため死去。悲嘆に暮れ、日記に「三月九日をもってわが人生おわる」と記す。

1944年(昭和19年)、弦巻町の家を9000円で売却する。

1948年(昭和23年)、東京都国分寺町に仕事場を作る。

1949年(昭和24年)、妹・吉能の息子である斎藤千秋を養子とする。

1964年(昭和25年)、蓮沼村の加瀬優子を養子とする。

1965年(昭和40年)10月14日、持病が悪化により死去。戒名は誠心院浄誉善覚智容大姉。葬儀委員長は市川房枝が務めた。菩提寺は世田谷の九品仏浄真寺

児童文学作家の北川幸比古は甥にあたる。

作風

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同じ少女小説で活躍した吉屋信子が美しいヒロインを描くことと対照的に、無知で醜悪な少女を主人公に選んだ作品が多い。

また嘘をつくことが物語の伏線となっていることが散見され、これについて児童文学者浜野卓也は「彼女が人間の生活上、うそがベストではないが、ベターな解決を生むということを痛切に知っている生活人であったから」と評している[6]

著書

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  • 『小鳥の家』(平凡社、令女文学全集) 1929.9
  • 『絹糸の草履』(大日本雄辯會講談社) 1931.10
  • 『春やいづこ』(大日本雄辯會講談社) 1934.4
  • 『父の乗る汽車』(常山堂書店) 1937.12
  • 『二年生特選童話』(童話春秋社) 1939
  • 『山上の旗 童話集』(童話春秋社) 1939
  • 『ひらがな童話たすけあひ』(童話春秋社) 1940
  • 『コバトノイヘ カタカナ童話集』(童話春秋社) 1940
  • 『明るい空 童話集』(フタバ書院) 1941
  • 『お父さんの村』(講談社) 1941
  • 『母の幻』(ポプラ社) 1948
  • 『八本のマッチ』(雁書房) 1948
  • 『春雨の曲』(ポプラ社) 1948
  • 『巣立ちの歌』(古径社) 1948
  • 『海の城・山の城』(真野出版) 1948
  • 『花の地球』(桜井書店、こどもかい文庫) 1948
  • 『あひるさんのかいもの』(金の星社、低学年童話文庫) 1950
  • 『北川千代児童文学全集』(北川幸比古, 鳥越信, 古田足日編、講談社) 1967
  • 『母の心』(主婦之友、昭和10年9月号、北川千代(述)宮地志行(絵))

再話

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参考文献

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  • 『覚めよ女たち 赤瀾会の人々』(江刺昭子、大月書店) 1980.10
  • 『日本近代文学大辞典』(講談社)1984.10
  • 『北川千代 深谷で生まれた児童文学作家』(深谷市教育委員会) 2001.3

外部リンク

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 講演記録 「『女學世界』に咲いた花 ~内藤千代子について~」森山敬子、鵠沼を語る会、1999年1月30日
  2. ^ 北川千代”. 2025年12月19日閲覧。
  3. ^ 北川千代(きたがわちよ)”. 2025年12月19日閲覧。
  4. ^ 日本近代文学館、小田切進 (編集)『日本近代文学大事典 第1巻』講談社、1977年、480頁。 
  5. ^ 日本近代文学館、小田切進 (編集)『日本近代文学大事典 第1巻』講談社、1977年、480頁。 
  6. ^ 日本近代文学館、小田切進 (編集)『日本近代文学大事典 第1巻』講談社、1977年、480頁。