刈谷映劇

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刈谷映劇
Kariya Eigeki
1967年昭和42年)頃の刈谷映劇[注 1]
地図
情報
正式名称 刈谷映画劇場
旧名称 刈谷東宝
開館 1941年6月
閉館 2000年9月24日
最終公演ドラえもん のび太の南海大冒険』(芝山努監督)[1]
客席数 290席(1953年)[2]
308席(1980年)[3]
用途 映画館
所在地 448-0844
愛知県刈谷市葭池町39(1953年)[注 2]
愛知県刈谷市広小路1-15(1980年)[3]
位置 北緯34度59分14.5秒 東経136度59分40.7秒 / 北緯34.987361度 東経136.994639度 / 34.987361; 136.994639 (刈谷映劇)座標: 北緯34度59分14.5秒 東経136度59分40.7秒 / 北緯34.987361度 東経136.994639度 / 34.987361; 136.994639 (刈谷映劇)
最寄駅 名鉄三河線 刈谷市駅
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昭和20年代の刈谷映劇
刈谷市内にあった大黒座
刈谷市内にある刈谷日劇
刈谷市の映画館

刈谷映劇(かりやえいげき)は、かつて愛知県刈谷市にあった映画館刈谷映画劇場(かりやえいがげきじょう)とも。旧称は刈谷東宝(かりやとうほう)。1941年昭和16年)に開館し、2000年平成12年)に閉館した。

沿革[編集]

  • 1941年(昭和16年):刈谷東宝として開館[1]
  • 時期不明:刈谷映劇に改称[1]
  • 2000年(平成12年) : 閉館[1]

歴史[編集]

戦前の1941年(昭和16年)6月に映画専門館の刈谷東宝として開館した[1][4]1953年(昭和28年)の愛知県には195館の映画館があり、刈谷市には刈谷映画劇場と大黒座の2館があった[2]。この年の刈谷映画劇場は木造2階建であり、座席数は290席、松竹大映東宝新東宝の作品を上映していた[2]

映画最盛期から20世紀末にかけての刈谷市内では3館の映画館が共存しており[5]、刈谷映画劇場は東宝や松竹の作品を、大黒座は東映日活の作品を、刈谷日劇は洋画を上映していた。刈谷市が主催する成人式は刈谷映劇と大黒座が交互に会場となっていた時期もあった[4]

1980年(昭和55年)の刈谷市には刈谷映画劇場、刈谷日劇・刈谷小劇場、刈谷大黒座の3施設(4スクリーン)があり、刈谷映画劇場は東宝と松竹の作品を上映していた[3]。他の2施設は鉄筋造であり、刈谷映画劇場のみが木造だった[3]。元フジテレビ所属で、アットムービー代表の映画プロデューサー森谷雄豊橋市出身)は、山口百恵三浦友和主演映画シリーズ等を刈谷映劇でよく観ていたという[6]

2000年(平成12年)夏期には『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI[7]香取慎吾主演の『ジュブナイル[1]のヒットもあったが、同年9月9日に閉館が発表され[1]同月24日ドラえもん のび太の南海大冒険』の無料上映をもって営業終了[4][1]。刈谷東宝から通算して59年の歴史に幕を閉じた。跡地には2002年(平成14年)に14階建のマンション「ユーハウス第5刈谷」が竣工した。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ザ・ドリフターズの『なにはなくとも全員集合!!』と勝新太郎の『座頭市血煙り街道』が上映されていたことが確認できる。
  2. ^ 1953年の映画館(東海地方) 「消えた映画館の記憶」を参照した。[2]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h “59年の歴史に幕 『刈谷映劇』24日に閉館 散り際は潔く 最後の2日間は『ドラえもん』を無料上映” (日本語). 刈谷ホームニュース (中日総合サービス三河支社). (2000年9月9日) 
  2. ^ a b c d 『全国映画館総覧 1953年版』時事通信社, 1953年。
  3. ^ a b c d 日本映画製作者連盟配給部会『映画館名簿 1980年』時事映画通信社、1979年
  4. ^ a b c 『碧海の昭和』樹林舎、2012年
  5. ^ 刈谷日劇/刈谷小劇場 港町キネマ通り
  6. ^ 森谷雄 (2006年3月10日). “やはりゴジラと百恵ちゃんは偉大だった?!・・・映画と僕②”. オフィシャルブログ「社長を。プロデュース」. CyberAgent. 2017年2月7日閲覧。
  7. ^ 夏休みお楽しみ会(映画会)上映映画:ポケットモンスター」(PDF)『熊公民館だより』第24号、刈谷市熊公民館、2000年9月1日、3頁、2018年11月24日閲覧