内藤長好
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 |
明和6年(1769年) ※明和8年3月21日(1771年5月5日)とも |
死没 | 寛政3年11月5日(1791年11月30日) |
改名 | 銕之進(幼名)、長好 |
戒名 | 本隆院殿寛誉直心道証大居士 |
墓所 | 東京都新宿区新宿の太宗寺 |
官位 | 従五位下、大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 信濃国高遠藩主 |
氏族 | 内藤氏 |
父母 | 父:内藤頼多、養父:内藤頼尚 |
妻 | 正室:朽木玄綱の娘 |
子 | 養子:頼以 |
内藤 長好(ないとう ながよし)は、江戸時代中期の大名。信濃高遠藩の第5代藩主。高遠藩内藤家10代。
生涯
[編集]明和6年(1769年)、高遠藩嫡子の内藤頼多の長男として江戸四谷下屋敷で生まれる[1]。父の死後、内藤頼尚が嫡子となったため、その養子となって安永5年(1776年)に家督を相続する。だが藩政では自ら城を抜け出して川干しを見たり[1]、登山をしたり花火見物、遠乗りや猪狩りなどをして[2]藩政を省みず、かえって領民にその際の負担を負わせて諸費用がかかったという[3]。
しかし、寛政3年(1791年)に嫡子をもうけぬまま死去した。享年23。陸奥国福島藩板倉家から頼以を養子に迎え、跡を継がせた。
系譜
[編集]父母
正室
- 朽木玄綱の娘
養子
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 長谷川正次『高遠藩』現代書館〈シリーズ藩物語〉、2005年11月。ISBN 476847103X。