六條八幡宮
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六條八幡宮 | |
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所在地 | 兵庫県神戸市北区山田町中字宮ノ片57 |
位置 | 北緯34度46分03.4秒 東経135度07分49.8秒 / 北緯34.767611度 東経135.130500度座標: 北緯34度46分03.4秒 東経135度07分49.8秒 / 北緯34.767611度 東経135.130500度 |
主祭神 | 八幡大神 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 伝長徳元年(995年) |
本殿の様式 | 三間社流造銅板葺 |
例祭 | 10月第2日曜日 |
主な神事 | 流鏑馬神事(10月第2日曜日) |
六條八幡宮(ろくじょうはちまんぐう)は、兵庫県神戸市北区に鎮座する、旧山田村13箇村の総鎮守たる神社である[1]。
祭神
八幡大神を祀る。
歴史
創建
社伝によれば、六條八幡宮の所在する山田の地は神功皇后の行宮が所在した霊地であり、そこに平安時代中期の長徳元年(995年)、周防国の僧、基灯が八幡三神を祀る宝殿を建てたのが当社の起源であるといい、元禄5年(1692年)成立の「寺社御改書上帳」(田中家文書)という史料によれば、長徳元年、基灯が円融寺という草庵を建てるとともに、里人の協力を得て八幡神を祀る宝殿を建てたとされている。基灯は『今昔物語集』巻第13に登場する半ば伝説的な人物で、その伝記は定かでない。
その後、保安4年(1123年)、当時山田庄の領主であった源為義が、京都の六条西洞院の自邸に祀られていた石清水八幡宮の分霊である左女牛八幡宮を勧請し合祀したという。六條八幡という呼称はこのことに由来する。以後神仏習合の霊山として足利家代々の篤い尊崇を受けた。
歴史的に見れば、山田庄は平家没官領であったものを文治3年(1187年)、源頼朝が左女牛八幡宮に寄進したものであり(『吾妻鏡』、若宮八幡神社文書)、六條八幡宮の実質的な創建はこの頃ではないかと推定されている[2][3][4][5]。
室町時代以降
室町時代の文正元年 (1466年)には、三重塔が建立される。近世に至り、貞享5年(1688年)、今に在る本殿が再建された[3][2]。
廃仏毀釈の禍を受けた明治時代に神宮寺が廃された。 明治になると、近代社格制度のもとで郷社に定められた。以降、八幡大神を祭神とする[6]。
社殿
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文化財
国
重要文化財
- 三重塔(附棟札3枚棟札)(大正3年4月17日指定)
神戸市
有形文化財
登録文化財(無形民俗文化財)
- 流鏑馬神事(平成9年10月23日登録)
市民の木
- 大銀杏(昭和49年(1974年)指定)
その他
- 神功皇后ゆかりの井戸など。
交通
地域活性の取り組み
- 北神急行電鉄のキャラクター、北神弓子を巫女として迎え入れ、両者協力の元に地域活性化プロジェクトを開始することを発表した[10]。
その第一弾として、2016年1月1日より、御守り袋に北神弓子のイラストと電車をあしらった「夢かなう幸福御守」の授与を開始した。2017年1月1日より、新デザインの御守の授与を開始した[11]。
文献資料
- ^ 『好き!神戸』 - 神戸市市民参画推進局
- ^ a b c d 『仏塔巡礼 西国編』 P.52 - 長谷川周 〔ISBN 4487795966〕
- ^ a b c 『神戸市文書館 地図:北区』 - 神戸市文書館
- ^ 『日本歴史地名大系 兵庫県の地名』、平凡社
- ^ a b 『兵庫県大百科事典』、神戸新聞出版センター、1983
- ^ 『全国八幡神社名鑑』 〔ISBN 4404030991〕 P.157
- ^ 『六条八幡神社』 - 長谷川周
- ^ 中西亨『日本塔総鑑』、同朋舎、1978
- ^ 渡辺義雄『日本の塔-信仰とその象徴』、毎日新聞社、1982
- ^ 『神戸市北区・六條八幡宮に北神弓子(北神急行電鉄マスコットキャラクター)御守りが登場します』 - 北神急行電鉄
- ^ 『来年から神戸市北区・六條八幡宮に新デザインの北神弓子(北神急行電鉄マスコットキャラクター)御守りが登場します。』 - 北神急行電鉄
外部リンク
- 六條八幡宮(兵庫県神社庁)