全ボン準

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本来の表記は「全琫準」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
全琫準

全 琫準전봉준、ぜん ほうじゅん、1854年 - 1895年4月24日(旧暦3月30日))は、朝鮮国(李朝)後期の人物。東学の主要人物のひとりで、甲午農民戦争の契機をつくった。

生涯[編集]

1854年全羅北道泰仁で生まれた。[要出典]東学の地方幹部であった彼は、暴政を行う役人に対する憤りから、1894年に農民を統率して郡庁を襲撃した[1]。この民乱を契機として甲午農民戦争が勃発した[1]。その後まもなく日本清朝がともに出兵したこともあり、一旦は全州和約を結んで政府と和した[1][注釈 1]。しかし、親日的な開化派政権が成立すると、再び蜂起して抵抗を続けた。最終的には日本軍によって捕らえられ、漢城(ソウル)で1895年に処刑された[1]井上馨日本公使は全琫準の人格に共感し、朝鮮政府に処刑しないように要請していたが、朝鮮政府は井上が帰国している間に、処刑を執行した。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ただし、和約を結んだとする一次資料は発見されていない。

出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]