児玉謙次

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児玉謙次

児玉 謙次(こだま けんじ、1871年11月7日 - 1954年2月13日)は、日本実業家

人物[編集]

香川県高松市生まれ[1]。高等商業学校附属外国語学校(のちの東京外国語学校)を経て、1892年高等商業学校一橋大学の前身)卒。

会計検査院に勤務し、1893年横浜正金銀行(のちの東京銀行)入行。1922年同頭取。 大蔵省顧問、中支那振興株式会社総裁、貴族院議員などを歴任。1945年終戦連絡事務局総裁。1946年5月14日、貴族院議員を辞職した[2]

1954年2月13日歿。行年84歳。墓所は染井霊園1-イ-4-7。

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 児玉謙次 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」コトバンク 2018年8月11日閲覧。
  2. ^ 『官報』第5799号、昭和21年5月17日。
  3. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。

外部リンク[編集]

神奈川県立歴史博物館 横浜正金銀行歴代頭取より

先代:
梶原仲治
横浜正金銀行頭取
第12代:1922年 - 1936年
次代:
大久保利賢
先代:
(初代)
中支那振興総裁
初代:1939年 - 1943年
次代:
高嶋菊次郎
先代:
(初代)
終戦連絡中央事務局総裁
初代:1945年 - 1946年
次代:
吉田茂