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佐々政次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
佐々 政次
時代 戦国時代
生誕 大永2年(1522年)?
死没 永禄3年5月19日1560年6月12日
別名 隼人正(通称)、成吉、勝通
主君 織田信秀織田信長
氏族 佐々氏近江源氏
父母 父:成宗(盛政とも)
兄弟 政次孫介成政長穐?、信宗丹羽氏次室、山田重国室、前野吉康室(佐々直勝の母)
清蔵
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佐々 政次(さっさ まさつぐ)は、戦国時代武将織田氏の家臣。尾張国井関城主。佐々成政の長兄。通称隼人正は「政次」で通っているが、文書上の裏付けはない。系図には「成吉」「勝通」ともある。

略歴

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天文8年(1539年)8月、織田信秀に仕える。同11年(1542年三河国小豆坂の戦いで弟・孫介と共に功名し[1]小豆坂七本槍に数えられる[2]

永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いの序盤に、織田信長善照寺砦に到着したのを見て、千秋季忠と共に今川義元軍に攻撃をかけ討死した[3]

なお、長男の清蔵織田信忠に仕え、成政の娘輝子を娶るが、本能寺の変で討死した。

脚注

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  1. ^ 太田牛一信長公記』 巻首 「あづき坂合戦の事」
  2. ^ 小瀬甫庵 『信長記』
  3. ^ 太田牛一 『信長公記』 巻首 「今川義元討死の事」