善照寺砦

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善照寺砦
愛知県
城跡にある砦公園
城跡にある砦公園
城郭構造 平山城
築城主 織田信長
築城年 1559年永禄2年)
位置 北緯35度4分53.7秒
東経136度57分27秒

善照寺砦(ぜんしょうじとりで)は、今川義元との戦いの際に織田信長鳴海城を囲むように築いた三の一つ。

所在地は、現愛知県名古屋市緑区鳴海町砦3。

砦公園からの眺望

概要[編集]

1559年(永禄2年)の山口教継教吉親子の切腹により、鳴海城は南の大高城とともに今川義元直属の支配下となった。織田信長はこれに対抗すべく、鳴海城を取り囲むように丹下砦、善照寺砦、中嶋砦の三砦を築き、さらに大高城との連絡を絶つべく、大高側に丸根砦鷲津砦を築いた。善照寺砦には佐久間信盛信辰兄弟が配置された。砦の建築は孤立した前線基地へ敵勢をおびき寄せる目的もあった。

善照寺砦には鳴海城の東に伸びた丘陵の東端にある寺跡が利用された。砦は一辺50メートルの堀と土塁を巡らせた館型であった[1]。西の屋根続きに出入口があり、出入口南側の土塁は櫓台状になっていた。 現在の城跡は砦公園として整備され、鳴海絞りを広めた三浦玄忠の慰霊碑が建つ。

脚注[編集]

  1. ^ 東西60メートル、南北36メートルの平山城であったとも(『日本城郭体系』9、新人物往来社、1979年、611頁。

参考文献[編集]

  • 淡河俊之 『みどりの歴史を訪ねて 鳴海編』 みどり小さな歴史資料館、2009年、16頁。
  • 新修名古屋市史編集委員会/編 『新修名古屋市史第二巻』 名古屋市、1998年、623-625頁、673頁。
  • 濱田昭生 『桶狭間の戦い』 東洋出版、2007年、82-83頁。

関連項目[編集]