佐々孫介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

佐々 孫介(さっさ まごすけ、大永6年?(1527年?) - 弘治2年8月24日1556年9月27日))は、戦国時代の武将。佐々成政の次兄。織田信長に仕える。諱は不明。系図類には「成経」「勝重」ともあるが、信用の限りではない。

大永6年(1527年)、佐々成宗(盛政)の次男として尾張国井関城に生まれる。天文11年(1542年)8月、齢17歳にして三河国小豆坂の戦いで功名[1]。兄隼人正と共に小豆坂七本槍の一人に数えられる[2]。弘治元年11月26日1556年1月7日)に坂井孫八郎織田信光を殺す事件があり、孫介は信長の命により5人の討っ手と共に坂井を成敗した[2]。翌2年8月、稲生の戦いに武者大将として出陣し奮戦するも討死を遂げた[3]。子に佐々行政

脚注[編集]

  1. ^ 太田牛一信長公記』 巻首 「あづき坂合戦の事」
  2. ^ a b 小瀬甫庵 『信長記』
  3. ^ 太田牛一 『信長公記』 巻首 「勘十郎殿、林・柴田御敵の事」