伊号第五十五潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊号第五五潜水艦から転送)
移動先: 案内検索
艦歴
計画 昭和17年度計画(マル追計画
起工 1942年6月15日
進水 1943年4月20日
就役 1944年4月20日
その後 1944年7月14日戦没
除籍 1944年10月10日
性能諸元
排水量 基準:2,095トン 常備:2,564トン
水中:3,644トン[1]
全長 108.7m
全幅 9.30m
吃水 5.12m
機関 艦本式22号10型(過給器付き)ディーゼル2基2軸
水上:4,700馬力
水中:1,200馬力
速力 水上:17.7kt
水中:6.5kt
航続距離 水上:16ktで21,000海里
水中:3ktで105海里
燃料 重油
乗員 94名[2]
兵装 40口径14cm単装砲2門
25mm機銃連装1基2挺
53cm魚雷発射管 艦首6門
九五式魚雷17本
航空機 なし
備考 安全潜航深度:100m

伊号第五十五潜水艦(いごうだいごじゅうごせんすいかん)は、日本海軍潜水艦伊五十二型潜水艦(丙型改潜水艦)として完成した最後の艦。艦名としては二代目。

初代伊55については伊号第百五十五潜水艦、または伊百五十三型潜水艦を参照のこと。

艦歴[編集]

1941年(昭和16年)の昭和17年度計画(マル追計画)により呉海軍工廠1942年6月15日起工、1943年4月20日進水、1944年4月20日に竣工した。呉鎮守府籍となり、訓練部隊である第六艦隊第11潜水戦隊に編入された。

1944年6月30日、を出港し、7月1日に横須賀に到着。7日に運砲筒を積んで横須賀を出港し、テニアン島の第一航空艦隊司令部と飛行機搭乗員救出、守備隊への補給任務に向かう。10日、第15潜水隊に編入。13日0040、「15日夜、テニアン島着の予定」の電報を最後に消息不明。

アメリカ側記録によると、13日2120、米哨戒機がサイパン島近海で潜航中の潜水艦を発見。通報により、上陸輸送船団を護衛中の米高速輸送艦ギルマー (USS Gilmer, APD-11)と米護衛駆逐艦ウィリアム・C・ミラー (USS William C. Miller, DE-259)の2隻が差し向けられた。14日0022、2隻は潜水艦を発見した海域に到着し、潜水艦の捜索を行った。7時間後、ウィリアム・C・ミラーが自艦から約1500mの位置に潜航中の潜水艦を探知し、0726と0752にそれぞれ爆雷13発ずつを投下。この結果。0804にウィリアム・C・ミラーの右舷船首から約450m離れた海面に木片が浮かび上がり、その1分後には海中での爆発音がして、その衝撃でウィリアム・C・ミラーの船体が揺さぶられた。そして、気泡が海中から上がるのを確認したウィリアム・C・ミラーは、止めとして0806に爆雷13発を一斉に投下。その結果、重油の流出が確認できた他、コルク片、木片、日本海軍のものと思われる帽子が浮かび上がってきた。これが伊55の最期であり、艦長の井筒紋四郎少佐以下乗員112名全員戦死。沈没地点はサイパン島近海、北緯15度18分 東経144度26分 / 北緯15.300度 東経144.433度 / 15.300; 144.433

15日テニアン島付近で喪失と認定、10月10日除籍。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』421頁による。

艤装員長[編集]

  1. 井筒紋四郎 少佐:1944年3月5日 -

艦長[編集]

  1. 井筒紋四郎 少佐:1944年4月20日 - 7月14日戦死

脚注[編集]

  1. ^ 『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』によると水中排水量は2,644トンであるが同サイズの他艦より1,000トンほど軽く、おそらく誤植と思われる。
  2. ^ 乗員数は『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』より。

参考文献[編集]