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今泉泰光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今泉 泰光(いまいずみ やすみつ、生年不明 - 1581年天正9年4月))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将下野宇都宮氏の家臣。下野国上三川城主。今泉泰高の子。今泉高光の父。

生涯[編集]

今泉泰高の子として生まれる。今泉氏宇都宮氏の支流・横田氏の傍流。

1549年天文18年)9月下旬、古河公方晴氏の下知を受け、宇都宮尚綱が那須退治として塩谷郡五月女坂に出陣したとき先陣にあって泰高・泰光父子が奮戦、ついで1558年永禄元年)5月には、越後の上杉謙信の軍が下野に攻め込み小山から多功城をめがけて襲撃してきた。このとき今泉氏は、多功勢応援のため上三川城から出陣した。

1572年元亀3年)正月中旬、相州小田原の北条氏政の下知で下野へ進出してきた秩父新六郎・太田氏房らの軍との戦い、翌々年の1574年天正2年)10月には甲州武田勝頼が大軍で来攻し都賀郡金崎に宿営したとき防戦のために出陣するなど、やむことのない合戦の日々に身をおいた。

これらの激動から心身の疲労を癒す時間もなかった泰光は父に先立って天正五年八月逝去し、泰高も子のあとを追うように1581年天正9年)4月に逝去した。

脚注[編集]