二条道良
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時代 | 鎌倉時代中期 |
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生誕 | 天福2年(1234年) |
死没 | 正元元年11月8日(1259年12月22日) |
官位 | 従一位、左大臣 |
主君 | 後嵯峨天皇→後深草天皇 |
氏族 | 二条家 |
父母 | 父:二条良実、母:四条灑子(四条隆衡の娘) |
兄弟 | 道良、教良、道玄、師忠、経通、道瑜、兼基、経忠、尋源、道潤、良宝、道乗、三条公親養女 |
妻 | 藤原為子(藤原為家の娘) |
子 | 九条忠教室、良豪、禎子 |
二条 道良(にじょう みちなが)は、鎌倉時代中期の公卿。関白・二条良実の長男。官位は従一位・左大臣。
経歴
[編集]寛元元年(1243年)元服し、正五位下となったのち、同年のうちに、正三位・右中将と公卿に列した。翌寛元2年(1244年)には従二位・権中納言、寛元4年(1246年)正二位・左大将。建長4年(1252年)7月右大臣となり、さらに同年11月には左大臣、正嘉元年(1257年)従一位となったが正元元年(1259年)11月8日、出家。同日に二条富小路殿にて[1]薨去。享年26。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 近藤敏喬 編『宮廷公家系図集覧』、東京堂出版、1994年、ISBN 4-490-20243-1
- 橋本政宣 編『公家事典』、吉川弘文館、2010年、ISBN 978-4-642-01442-7