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中村謙作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村 謙作
なかむら けんさく
生年月日 1882年9月16日
出生地 愛知県
没年月日 (1966-08-31) 1966年8月31日(83歳没)
出身校 愛知県第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校
所属政党 無所属
称号 勲五等瑞宝章

当選回数 1回
在任期間 1954年8月29日 - 1957年8月21日

西尾町長
当選回数 3回
在任期間 1924年 - 1939年

西尾町会議員
当選回数 1回
在任期間 1920年 - 1924年
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中村 謙作(なかむら けんさく、1882年明治15年)9月16日[1] - 1966年昭和41年)8月31日)は、日本政治家愛知県西尾市長(1期)、西尾町長(3期)などを歴任した[2]

来歴

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1901年(明治34年)3月、愛知県第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業[3]

1920年(大正9年)、西尾町会議員に就任。1924年(大正13年)から1939年(昭和14年)まで西尾町長を務めた[4]。町長時代には愛知県立西尾中学校(現・愛知県立西尾高等学校)の誘致を行っている[2]

1954年(昭和29年)7月5日、初代西尾市長の千葉蝶二が任期中に死去。これに伴って同年8月28日に行われた市長選挙に立候補し、無投票により初当選した[5][6]。8月29日、市長に就任[7]

就任間もない1955年(昭和30年)1月に幡豆郡三和村を、さらに同年4月1日、碧海郡明治村大字米津および南中根を編入するなど、前市長の千葉同様、市域の拡大に奔走した[4]。市の自治機能および組織の整備についても新しい施策を次々に実施した。同年5月、西尾市消防団連合会と婦人連絡協議会を結成。9月、消防団の機構を改革し14分団とし、11月に消防団連合会を解散して団1本とした。1956年(昭和31年)11月、西尾市金庫を設置。1957年(昭和32年)7月、水道課と農業委員会事務局を設置[4]

さらに体育・文化の育成にも力を注ぎ、1955年(昭和30年)9月に文化財保護委員の委嘱を行い、10月に第1回市民体育大会を開催した。その努力は実を結び、同月、第10回国民体育大会テニス教員の部で優勝を飾った[4]

1957年(昭和32年)8月21日、1期目の途中で辞職[8]

1966年(昭和41年)8月31日、死去[2]。83歳没。同年10月、中村の遺族は葬儀の香典の全額である30万6,200円を西尾市立図書館に寄付した[9]

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、251頁。
  2. ^ a b c 名誉市民”. 西尾市公式ウェブサイト (2021年4月21日). 2021年12月20日閲覧。
  3. ^ 『岡高同窓会名簿 1986』 愛知県立岡崎高等学校同窓会長、1986年10月1日、2頁。
  4. ^ a b c d 『日本の歴代市長 第二巻』歴代知事編纂会、1984年11月10日、508頁。 
  5. ^ 西尾市史編纂委員会『西尾市史 第五巻』西尾市役所、1980年6月25日、455頁。 
  6. ^ 第1回西尾市長選挙結果” (PDF). 西尾市公式ウェブサイト. 2021年12月20日閲覧。
  7. ^ 歴代市長”. 西尾市公式ウェブサイト (2021年4月21日). 2021年12月20日閲覧。
  8. ^ 中部日本新聞』1957年8月22日付朝刊、三河版、4面、「〝福地問題解決を〟 中村市長語る」。
  9. ^ 西尾市立図書館『としょかんのあゆみ 平成8年度』西尾市立図書館、1997年、1頁。