ローレル・クラーク

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ローレル・クラーク
Laurel Blair Salton Clark
NASA所属宇宙飛行士
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
現況 死去
誕生 1961年3月10日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アイオワ州エームズ
死没 2003年2月1日(2003-02-01)(41歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州上空
他の職業 航空医官
階級 海軍大佐
宇宙滞在期間 15日22時間20分
選抜試験 1996年NASA選抜試験
ミッション STS-107
記章 STS-107 Flight Insignia.svg

ローレル・クラーク(Laurel Blair Salton Clark、1961年3月10日-2003年2月1日)は、アメリカ合衆国の医師、アメリカ海軍大佐アメリカ航空宇宙局宇宙飛行士である。コロンビア号空中分解事故に巻き込まれて亡くなった。

私生活[編集]

クラークはアイオワ州エームズで生まれたが、故郷はウィスコンシン州ラシーンだと見なされている。後にコロンビア号空中分解事故に関する400ページに上るNASAの公式レポートをまとめた、NASAの航空医官で夫のジョナサン・クラークと息子のイアン・クラークを残して亡くなった[1]

クラークはガンマ・ファイ・ベータ女子学生クラブのメンバーだった。KC5ZSUというコールサインで、連邦通信委員会からアマチュア無線の免許を受けている。

教育[編集]

栄典[編集]

クラークは次のような多くの勲章を受けている。

の印がついたものは死後の追贈。

記念など[編集]

軍歴[編集]

クラークは医学を学んでいた1987年3月にアメリカ海軍潜水実験隊での訓練を熱心に行っていた。医学校を卒業すると、彼女は1987年から1988年まで海軍医療センターで小児科学の研究を行った。その後コネチカット州グロトンの海軍海中医学研究所、フロリダ州パナマ市の海軍ダイビング&サルベージトレーニングセンターで働いた。その後、スコットランドホーリー・ロッホの潜水艦第14艦隊軍医長として勤務期間中、彼女はアメリカ海軍及びNavy SEALsの潜水員とともにたびたび潜水を行って、潜水艦から多くの医療救助を行った。

その後クラークは、フロリダ州ペンサコーラの海軍航空医学研究所で6ヶ月間の航空医学の訓練を受け、航空医官となった。アリゾナ州ユマの海兵隊飛行場に滞在し、アメリカ海兵隊ハリヤー夜襲部隊に所属した。1度の西太平洋遠征を含む何度か従軍し、厳しい環境の中で医療活動を行った。この作戦によって、彼女の部隊は年間最優秀部隊を獲得した。

NASAでのキャリア[編集]

1996年4月にNASAの宇宙飛行士に選ばれ、1996年8月からジョンソン宇宙センターに勤めるようになったと言われている。2年間の訓練と評価を経た後、彼女はミッションスペシャリストの資格を得た。1997年7月から2000年8月にかけて、クラークはペイロード/居住性局の宇宙飛行士室で働いた。クラークはSTS-107で宇宙を訪れ、15日22時間20分宇宙に滞在した[2][3]

宇宙飛行経験[編集]

STS107 コロンビア - 16日間の宇宙飛行を行い、科学実験を行った。1日2交代制で24時間働き、約80の実験を実施した。生物学の実験としては、宇宙でのガーデニングなどがあったと、死の前日にミルウォーキーのメディアに答えている。STS-107のミッションは、2003年2月1日にコロンビアが大気圏再突入に失敗して突然終わった。着陸の予定時間の16分前だった。

残骸から回収された機上のビデオテープによると、ミッションコントロールは事故の直前、クラークにいくつかの小さな仕事を依頼した。彼女は、今は忙しいが数分で手が空くと答えた。彼女は、「心配しないで。あなたは世界中の時間を持っているんだから。」と語った。

彼女から友達や家族への最後のメッセージはコロンビア号から送信された電子メールだった[4][5]

引用句[編集]

Life continues in lots of places -- and life is a magical thing.

—Laurel Clark, in reference to her rose bushes.

出典[編集]